明治維新を遂げた日本では、政府が旧来の貨幣単位「両」(兩)を、欧米の通貨に合わせて円形にする際に、その名称も変更した。大隈重信がお金を意味する丸を指で描いて説いたことから「圓」が採用されたというのは、当時すでに香港で「圓」が用いられていたことから見ると、俗説であるのかもしれない(中国では、「開元通宝」などにルーツをもつ「元」の流れもあったとも言われている)。ちなみに「銭」は、アメリカのセントに発音も近いので、大隈はそのまま採用したのだともいう。むろん日本の人々も、このように漢字の表音的性質に着目して利用することもあり、中国とは別に行われることだってある。
これで、「圓」はそのままの字体では広く世には受け入れがたくなったのである。そこで、ちょうど存在した「円」という略字が貨幣単位を表記するためにも活用されはじめる。手書きでの頻用を受けて、保守性が強い活字ではあっても、戦前から見出し活字や小さい活字などで「円」という字体が登場する。活字は、手書きよりも遅れて変化が進むものだが、歴史の縮図を作ることがある。手書きで起こった「圓」から「円」へという字体の変化をメディアを替えて短期間で再現したのだ。
こうした状況を受けて、戦前の漢字施策案も、「円」を追認する動きを積極化させた。日本銀行本店の建物を上から見ると「円」のような構造となっているというのは、やはり偶然ではないのかもしれない。このように貨幣単位に「圓」が採用されたことが略字「円」の流通を決定づけた。この略字は定着し、戦後に当用漢字に「新字体」として採用されたのである。無論、それと並行して「圓形」も「円形」、固有名詞の「圓山」も「円山」などと、正式な場面でも書かれる機会が増えていった(例外的に変わらなかったケースもある)。
今日では、たとえば「200円」は次のように書かれることもある。ひらがなにした「200えん」、カタカナにした「200エン」、英語の綴りを採り入れた「200yen」、ローマ字表記にした「200en」、記号を用いた「¥200」、記号の位置が膠着語風に転倒した「200¥」、記号と漢字とが重複した「¥200円」など、さまざまな表記が店先に並ぶ。具体的な金額ということで婉曲にしようという意図も働いているのだろうか。ここまでの多様性は、いかにも日本らしい。
中国では、「円」は日本の貨幣単位専用の日本製漢字(国字)、とさえ思われることが以前からある。「圓」との関連性が、毛筆により崩した字形ではなく活字体で固まってしまった字面からは浮かびにくいのであろう。それは、多くの日本人にとっても同じではなかろうか。漢和辞典を見ても、新字、旧字というレッテルや、せいぜい俗字という一言だけで片付けられ、変化の過程を説明してはくれない。多様性を好む一方で、その根源、経緯や理由をあまり求めようとしないのも、また日本らしいといえるような気もしてくる。
なお、漢字語が色濃く残っているベトナムは、「ドン」(đồng)という貨幣単位を用いており、それは銅貨の「銅」という漢字音である。漢字圏にありながら、「圓」に由来しないという点で、特筆に値する。1ドンは現在、0.005円弱と安い。「銅」という漢越語は、ベトナム語ではたとえば時計という語にも、「銅壺」(ドンホー)と使われている。ベトナムではこうしたなにやら古めかしい漢語による表現が目立つ。ベトナムでは、京(キン)族(越(ベト)族)のほかに、中国と同じくらい多彩な少数民族が生活をしている。その中には、チュノムをさらに応用した文字や、中国の壮(チワン)族の壮文字、広東語の方言文字と共通する文字も見受けられる。もしかしたら、「銅」という表記が今なおどこか南方の地で生きている、ということは、さすがにないのだろうか。