1923年5月23日、オール女史は、CGT(Compagnie Générale Transatlantique)の蒸気船フランス号で、フランスのル・アーヴルに向けて、ニューヨークを出港しました。オール女史は、訪仏親善使節団の一員として、フランス各地を巡る旅に出発したのです。この親善使節団は、パリ、ストラスブール、アラスなど、第一次世界大戦の激戦地を訪問する目的で、アメリカじゅうから100人以上の女性を集めたものでした。というのも、これらの激戦地には、アメリカからも数多くの陸軍兵士が参戦しており、彼らの墓が残されていたからです。
オール女史自身は、兵士たちの墓に花を手向けながらも、しかし、別の目的がありました。フランス各地におけるタイプライターの普及の度合いを、その目で確かめておきたかったのです。ヨーロッパにおけるレミントン・タイプライター社は、パリなど大都市に代理店を置いているものの、売り上げは伸び悩んでいました。それが、レミントン・タイプライター社だけの問題なのか、それともヨーロッパにおけるタイプライターの普及全体に関わる問題なのか、そのあたりをオール女史は見極めたかったのです。ほぼ1ヶ月間に渡る日程を終え、6月30日、サヴォイ号でル・アーヴルを出港したオール女史は、7月8日、訪仏親善使節団の女性たちとともに、ニューヨークに帰港しました。
1923年9月12日、オール女史は、ニューヨーク州イリオンにいました。タイプライター製造開始50周年を祝う記念式典に参加するためでした。1873年6月にショールズがイリオンを訪れ、「Sholes & Glidden Type-Writer」というブランド名を決めてから、早くも50年が経過していたのです。レミントン・タイプライター社の全面バックアップのもと、地元のハーキマー郡歴史協会(Herkimer County Historical Society)の主催でおこなわれた記念式典のメインイベントは、ショールズ記念碑の除幕式でした。ミルウォーキー在住のリリアン・フォーティア夫人(Lillian Sholes Fortier、ショールズの末娘)や、シカゴ在住のメアリー・ショールズ夫人(Mary E. Bertha Ten Eyck Sholes;ショールズの息子クラレンス(Clarence Gordon Sholes)の妻)など、ショールズゆかりの人々を、イリオンでの除幕式に招待できたこともあって、記念式典は大成功に終わりました。
(メアリー・オール(15)に続く)