見出し語、漢字表記、品詞表示と来れば、次は、語釈、つまり意味の説明です。語釈は、どの国語辞典もふつうの日本語で書いてあり、読むのにそう困ることはないはずです。
ただし、中には、語釈を限られたスペースに収めるため、括弧の使い方に独特の意味を持たせている国語辞典もあります。そういう辞書を使う人は、括弧の意味を知っておくと、説明がいっそうはっきり分かるようになります。
括弧に特別の意味を持たせている国語辞典の代表は、『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』(三省堂)、それに『学研現代新国語辞典』です。この3つの辞書に共通する部分に焦点を当ててみます。
まず、『三省堂』の「願文」「近郷」を比べると、括弧の使い方に違いがあります。
〈願文 〔神仏にささげる〕願いごとを書いた文。〉
〈近郷 (都会の)近くの いなか。〉
語釈の冒頭に注意してください。前者には〔 〕(亀甲括弧)が、後者には( )(丸括弧)がついています。どうして、こんなふうに区別してあるのでしょうか。
〔 〕も( )も、そこを読まなくても、ことばの意味はいちおう理解できます。「願文」は、文字どおりに解釈すれば「願いごとを書いた文」です。また、「近郷」は、これも文字どおりに読めば「近くのいなか」です。どちらの括弧も、その部分がなくても、最低限の説明にはなるという点では同じです。
ただ、「願文」は、「お母さんに小遣いの値上げの願文を渡す」などいう使い方はしません。必ず神仏に捧げる場合だけに使います。ということは、〔神仏にささげる〕という部分は、「願文」の文字どおりの意味には含まれないにせよ、つねに必要な要素です。
一方、「近郷」は、都会の近くの田舎も指しますが、村の人が「ちょっと近郷まで行って来よう」と出かけることもあります。単に「近くの田舎」も指すのです。「近郷」の意味のうち、(都会の)は、場合によって必要であったりなかったりする要素です。
つまり、〔 〕も( )も、意味の説明では脇役という点では同じですが、〔 〕は必須要素、( )は必須ではない場合がある要素を表すという点で違いがあります。
( )と「・」とで一括表記
もうひとつ、この3つの辞書が採用する書き表し方として、( )と「・」(ナカグロ)(『新明解』では「△」)とを組み合わせるものがあります。
たとえば、「大食い」は、『三省堂』ではこうなっています。
〈一度の食事にたくさん食べる・こと(人)。〉
これは、「一度の食事にたくさん食べること。また、食べる人」と読みます。「・」の意味は、そこから次の( )へ飛んでもかまわないということです。このようにまとめることで、数文字分のスペースを省略することができます。
こうした一括表記は、うまく使えば、かなりの情報を圧縮して示すことができます。『三省堂』の「同宿」は、その好例です。
〈同じ・やどや(下宿)にいる・こと(人)。〉
これは、括弧を外して展開すれば、「同じ宿屋にいること。また、その人。あるいは、同じ下宿にいること。また、その人」ということです。ずいぶん長くなります。一括表記のおかげで、はるかに簡単になりました。
もっとも、こうした特別の書き方は、ともすると分かりにくくなるので、注意が必要です。同じく『三省堂』の「きざっぽい」「思わしい」を比べてみます。
〈きざっぽい きざな感じ(を あたえるようす)だ。〉
〈思わしい のぞんだとおり・になる状態(のことが得られるようす)だ。〉
「きざっぽい」のほうは、途中の( )を省略して読めば「きざな感じだ」となり、省略せずに一続きに読めば、「きざな感じをあたえるようすだ」となります。これは誰でも分かるはずです。ところが、「思わしい」のほうは、一続きに読んでしまうと、「のぞんだとおりになる状態のことが得られるようすだ」となって、わけが分かりません。
「思わしい」の語釈には、「・」が入っているのがポイントです。つまり、これは、「大食い」などと同じルールで読まなければなりません。正しくは、「のぞんだとおりになる状態だ」「のぞんだとおりのことが得られるようすだ」と2通りに読むのです。
この場合、いささか一括表記を濫用したと言わざるをえません。語釈の書き手は、スペース節約の一方で、分かりやすさを損なわないよう、十分考慮すべきです。