ことばの意味を説明することは、日常会話でも、テレビや新聞でもよくありますが、それらの場合に比べて、国語辞典の語釈は、形式がよほど厳密に決まっています。
歌舞伎に関するテレビ番組を見ていた時、「やつす」ということばについての説明がありました。〈「やつす」とは、みすぼらしいさまだけどかっこいいこと〉と定義されていました(NHK BS-2「プレミアム8・極付歌舞伎謎解」2010.3.8 20:00)。商家の若旦那が勘当されて、身を質素に「やつす」のは、ファッションの要素もあったようです。
なるほど、と思いましたが、この説明は、そのまま国語辞典の語釈にはなりません。歌舞伎特有の意味だからというだけでなく、説明の形式が辞書にふさわしくないからです。
国語辞典の語釈の形式で、最も特徴的なのは文末です。できるだけ、名詞の語釈は名詞で、動詞は動詞で、形容詞は形容詞で終わるように書いてあります。たとえば、『三省堂国語辞典』で「細身」(名詞)、「細める」(動詞)、「細い」(形容詞)を引くとこうです。
〈ほそ み[細身](名)①はばの せまい、きゃしゃな 作り。〉
〈ほそ・める[細める](他下一)細くする。〉
〈ほそ・い[細い](形)①〔長いものの〕はばが小さい。〉
「細身」の語釈の最後は名詞「作り」で終わり、「細める」は動詞「する」、「細い」は形容詞「小さい」で終わっています。見出し語と語釈とが、きれいに対応しています。
先のテレビ番組の例は、「やつす」という動詞の説明が、〈……みすぼらしいさま〉〈……かっこいいこと〉となっていて、動詞で終わっていません。辞書にふさわしくない形式だというのは、そういうことです。
べつに形式なんかどうでもいいと思う人もいるでしょうか。でも、たとえば、「息子はいやしい姿に身をやつし……」の「やつす」を解釈するとき、辞書に「みすぼらしいさま」と名詞形の説明が出ていては、「いやしい姿に身を、みすぼらしいさま」となってしまい、意味が通じません。やはり、ここは語釈の最後を動詞形にして、
〈やつ・す〔略〕(他五)〔目立たない姿に〕服装を変える。〉(『三省堂』)
というふうに説明しておくべきです。
見出し語と入れ替えても通じる語釈に
項目によっては、見出し語と、語釈の文末の形式をそろえるのがむずかしい場合もあります。たとえば、動詞「あぶれる」の場合、語釈も動詞で結ぶはずのところですが、実際には必ずしもそうなっていません。『三省堂』の語釈は次のとおりです。
〈〔人数が余って〕仕事などに ありつけない。はみ出る。〉
「ありつけない」と否定形で締めくくっています。これと似た語釈を掲げる国語辞典は、ほかにもあります。でも、「あぶれる」と「ありつけない」は用法が違います。
「倒産で仕事にあぶれる」という場合、「倒産で仕事にありつけない」と言い換えることはできません。むしろ、「仕事にありつけなくなる」としたほうがぴったり来ます。『現代国語例解辞典』(小学館)では、この語釈を採用しています。
ところが、「仕事にあぶれる状態が1年も続く」という場合は、「ありつけなくなる」では意味が通りません。「仕事にありつけないでいる」と解釈しなければなりません。『新明解国語辞典』(三省堂)は、この語釈を採用しています。
つまり、「あぶれる」は、「ありつけない」と否定形で説明しても、また、「ありつけなくなる」「ありつけないでいる」と説明しても、ぴったりした語釈になりません。「あぶれる」は動詞ですが、それを同じく動詞で説明するのは簡単ではありません。
私自身が語釈を書くのに悩んだことばに、「すべる」があります。「スキーですべる」と言うときの意味はいいとして、「漫才でギャグがすべる」と言うときの「すべる」の語釈を、動詞で終わらせることができませんでした。
最初の原稿では〈受けをねらったが、受けない。〉としてありました。「ない」と否定形で結んでいます。でも、「(ギャグが)すべってばっかりいる」を「受けないでばっかりいる」と言うと、日本語として変です。「すべる」イコール「受けない」ではありません。
いろいろ考えた末、〈じょうだんなどが、受けずに終わる。〉という語釈にしました。なんとか動詞で終わる形にしたのです。
国語辞典の語釈は、見出し語と入れ替えて文章の中で使っても、そのまま意味が通じるようになっているのが理想です。そのためには、見出し語が動詞なら動詞らしい語釈に、形容詞なら形容詞らしい語釈にする必要があります。お手持ちの辞書はどうでしょうか。
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〔お知らせ〕
「国語辞典入門」は、9月いっぱい休載いたします。英気を養い、10月から再開いたしますので、何とぞ引き続きご愛読ください。
追記:「9月いっぱい休載」と申しておりましたが、事情により、休載期間をいましばらく延長させてください。決して話の種が尽きたわけではありませんので、再開までお待ちいただければ幸いです。今後とも本連載をよろしくお願いいたします。
2010.10.1 筆者