『日本国語大辞典』をよむ

第51回 猪と豚

筆者:
2019年1月13日

いのしし【猪】〔名〕(1)(「猪(い)の獣(しし)」の意)イノシシ科の哺乳類。体長一~一・五メートル。ブタの原種で口先が長く、犬歯は強大で口の外へ突き出てきばとなる。体毛は黒褐色。怒ると背すじの長毛を逆立てる。ヨーロッパ、アジア、北アフリカに広く分布し、日本では北海道を除く各地に生息する。山地の森林にすみ、夜出て植物の根やミミズを掘り出して食べるほか、ヘビ、カエルなどを捕食する。子は体に縦すじがあり「うりぼう」と呼ばれる。肉は古くから山鯨(やまくじら)と呼ばれて賞味され、一般に猪鍋(ししなべ)にして食べる。しし。い。いのこ。やちょ。学名はSus scrota 《季・秋》(略)語誌 古くは単独のイで猪を指した。シシは肉のことを指し、また、肉を食用とすることができる獣一般を指す語であったので、狩りの主要対象であった鹿とともに猪を指すことが多かった。後に、猪をイノシシ、鹿をカノシシと言って呼び分けるようになる。シシで獣を指すことは近代以降まれになるが、「ししふせぎ(猪防)」「ししおどし(鹿威)」などの語の中にその意味が残っている。

ぶた【豚・豕】〔名〕(1)イノシシ科の哺乳類。イノシシを飼いならした家畜。約九〇〇〇年前に人類の定住・農耕の開始とともに、ヨーロッパとアジアでそれぞれ家畜化されたと考えられている。体はよく肥え、鼻と耳が大きく、尾は細くて小さい。あしは体の割に短く、動作はのろい。雑食性で、粗食に耐える。ヨークシャー・バークシャーなど多くの品種があり、食肉用として世界各地で飼育。肉は生肉・ハム・ベーコンなどに、脂肪はラードに、皮は皮革・ゼラチンなどに利用される。いのこ。家猪。とん。学名はSus scrofa var. domesticus *文明本節用集〔室町中〕「家猪 ブタ」*日葡辞書〔1603~04〕「Buta (ブタ)。イエノ イノシシ」*仮名草子・伊曾保物語〔1639頃〕下・七「河のほとりにぶた親子遊びゐける所を」*談義本・風流志道軒伝〔1763〕五「狗(いぬ)や猪(ブタ)を食ふ故に、其教もまた異なり」(2)(1)の肉。豚肉。*蔗軒日録-文明一八年〔1486〕四月二六日「鄞江、浙江、猪肉之内、重其頭、日本人ぶたと云也」*消息〔1899~1900〕〈正岡子規〉「牛が無ければ豕にても宜しく豕が無ければ鳥にても宜しく鳥が無ければ魚にても宜しく候」*桑の実〔1913〕〈鈴木三重吉〉二六「馬鈴薯と豚肉(ブタ)とで、シチュー見たいなものを拵へ」(3)「いのしし(猪)」をいう。*いやな感じ〔1960~63〕〈高見順〉二・六「『ブタ箱の短冊じゃ、タンはタンでもブタ(イノシシ)のタンだ』〈略〉これはリュウコの連中にはおなじみの花札のことで」(略)

上には『日本国語大辞典』の見出し「ぶた」と「いのしし」とを一部省略して示したが、丁寧によむといろいろなことがわかる。まずは、現代日本語では「イノシシ」を一語と思う人が多いように思うが、「イ+ノ+シシ」という語構成であるということだ。「シシ」が〈肉〉であるならば、「イノシシ」は「イ」という動物の(食用にするための)肉を指していたはずであるが、次第にそれが動物そのものも指すようになったという「道筋」がありそうだ。しかしこのあたりを文献から追うことは難しそうだ。文献に「イノシシ」と記されていた場合に、それが肉のことか動物そのもののことかを文脈からのみ判断するのが難しいだろうという予想だ。

見出し「ぶた」には「イノシシを飼いならした家畜」とある。日本のことでいえば、縄文時代の遺跡から出て来る獣骨はイノシシとシカとが多いことがわかっている。列島に棲息していて、狩りやすい動物ということだろう。縄文時代にすでにイノシシを家畜化していたのではないかという指摘もあるようだ。イノシシの子を生きて捕獲したら、それをそのまま飼うというのはきわめて自然の行為のように思われるから、ありそうなことだと思う。飼い慣らし始めた時のイノシシには牙があっただろうから、最初はイノシシとブタとの区別はなかっただろう。実物を区別する必要がでてくると、実物の区別のために異なる語が必要になるというのが「筋道」である。

そしてまた、先にもふれたが、語がさし示す具体物=指示物がある場合、何を指しているのかということがわかりにくいことがある。基本的にはその語を含む文、その文の前後の文の内容から判断するしかない。

実は「ブタ」という語が使われている文献がなかなか見つからない。「ブタの初見」についての論文があり、現時点では、『日本国語大辞典』が(2)にあげている、禅僧季弘大叔(別号蔗軒)の日記である『蔗軒日録』の文明18(1486)年4月26日の記事中の「猪肉之内、重其頭、日本人ブタト云也」が文献に初めて見える「ブタ」ということになっている。この文をよくみると、「猪肉」(しかもその頭)を「ブタ」と呼ぶとよめる。となると、「ブタ」はある動物の名前ではなく、ある動物の(頭の)肉の名前ということになる。『日本国語大辞典』はそのあたりのことを配慮して、語義の(2)を「豚肉」としているのであろう。

「豕」は漢字の部首になっている。部首名は「いのこ偏」だ。「イノコ」はもちろん「イ(猪)の子」であるから、もともとは〈イノシシの子〉をあらわす語であったはずであるが、それが次第に〈イノシシ〉をあらわす語としても使われるようになったのであろう。「イノコをつかまえた」と言った時に、話し手は、イノシシの子だと認識してそう発言していても、聞き手は、それが子であると認識していなければ、その動物が「イノコ」という動物だと思うだろう。やはり「指示物と呼び名」ということだ。それはそれとして、『日本国語大辞典』は見出し「ぶた」の直下に「豚・豕」2つの漢字を掲げている。このことからすれば、「ブタ」をあらわす漢字が2つある、と認めているようにみえる。『日本国語大辞典』があげた使用例の中に、正岡子規の「消息」があり、「牛が無ければ豕にても宜しく豕が無ければ鳥にても宜しく鳥が無ければ魚にても宜しく候」とある。この文は牛肉がなければ豚肉でもいいし、豚肉がなければ鳥肉でもいいし、それもなければ魚でもよい、とたしかに「よめ」る。そしてまた、中国においては、「豕」は〈ぶた〉である。「豚」という漢字は「にくづき(月)」+「豕」でまさしく〈豕の肉〉をあらわす字といってよい。「豕」は動物としてのブタをあらわす字で、「豚」は食肉としての豚肉をあらわす字と考えると、きれいな「筋道」になる。さて、そこで、日本ではどうだったか、ということをもう少し知りたい気持ちになってくる。正岡子規はどういうつもりで「豕」という字を使ったのだろうか。イノシシ年の始まりに、そんなことを考えてみるのもおもしろいだろう。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。