記念式典に合わせて、ハーキマー郡歴史協会は、『The Story of the Typewriter 1873-1923』と題する50周年記念書籍を刊行しました。この書籍には、リリアンから提供された写真が1枚、掲載されていました。51年前の1872年、すなわち、リリアンが14歳の時に撮った写真で、当時ショールズが開発中だったタイプライターを、リリアンが操作している写真です。その意味でリリアンは、世界初の女性タイピストだったわけです。しかし、その後リリアンは、職業としてタイピストを選択することはなく、ほぼ50年もの間、ほとんどタイプライターを触ったことがない、とのことでした。オール女史には、それが残念でなりませんでした。
1926年8月20日、オール女史は60歳の誕生日を迎えました。レミントン・タイプライター社の常務取締役は退いていましたが、多くの女性社員に対する良き「相談役」として、オール女史はレミントン・タイプライター社での勤務を続けていました。タイピストとしての腕は、さすがに衰えていましたが、事務書類や手紙など「Remington Portable」を打つ機会は、まだまだ多かったようです。しかし1927年2月9日、レミントン・タイプライター社がランド・カーデックス社などと合併し、レミントン・ランド社が設立されるのと前後して、オール女史は現場から引退する形となりました。
1933年3月28日、オール女史は、YWCAのニューヨーク本部にいました。この日、アメリカ各地のYWCAで、タイプライター60周年を祝うイベントがおこなわれており、オール女史も、YWCAのニューヨーク本部に招かれていたのです。ニューヨーク本部では、アイリーン・ドナヒュー(Eileen Donahue)という女性タイピストが、リリアンに扮して61年前のタイプライターを叩いてみせる、というデモンストレーションがおこなわれました。
もともとニューヨークのYWCAは、1881年10月に無料タイピング教室を開設して以来、半世紀以上もの間ずっと、女性タイピストを輩出し続けてきました。初期のタイピング教室で使われていたタイプライターは、もちろん「Remington Standard Type-Writer No.2」です。しかし、20世紀に入ってからは、YWCAのタイピング教室で使われるタイプライターは、徐々に「Underwood」など他社に移っていきました。このタイプライター60周年イベントは、YWCAと女性タイピストたちに、もう一度「Remington」というブランドを思い出してもらうべく、レミントン・ランド社が仕掛けたものでした。
(メアリー・オール(16)に続く)