この日(1933年3月28日)のYWCAのイベントでは、タイプライター60周年を記念して、60歳以上の女性タイピストが、「Remington Portable」を叩いてみせる、というデモンストレーションもおこなわれました。66歳のオール女史も、得意の二本指打法で「Remington Portable」を操ってみせました。一方、ミルウォーキーのYWCAには、リリアン・フォーティア夫人が招かれており、やはり二本指打法で「Remington Portable」を叩いてみせていました。さらに、この日の22時45分(東部標準時)から、CBS系列の各ラジオ局で、タイプライター60周年を祝うラジオ番組が、YWCAとレミントン・ランド社の提供で全国放送されました。
最終的には、この日のイベントで、全米25万人の女性たちがタイプライター60周年を祝った、とYWCAは発表しました。現実には、25万人という数字は、さすがにサバを読み過ぎなのですが、しかし、このイベントは、アメリカの女性たちに、非常に大きな影響を与える結果となりました。タイプライターは女性のものであり、女性の社会進出はタイプライターと共にある、という強いメッセージが、アメリカじゅうの女性に広まる結果となったのです。それは、四半世紀前にオール女史が発したメッセージと、本質的には同じものでしたが、ここでは「女性タイピスト」という明確な形をとって、ラジオという新しいメディアを通じ、アメリカじゅうに広まっていくこととなったのです。そしてそれは、YWCAやレミントン・ランド社の思惑を遥かに超えて、アメリカにおける女性の地位向上運動へと発展していくことになったのです。
1936年1月25日、オール女史は、エッジコンベ通り555番地の自宅で息を引き取りました。69歳でした。1月27日の早朝、マウント・モリス長老教会で葬儀が営まれ、翌28日、オール女史の亡骸はウッドローン墓地に埋葬されました。生涯、夫も子供も持たず、独身を貫いたオール女史でしたが、その葬儀には、多数の女性タイピストたちが参列しました。そして、葬儀に参列した女性タイピストのみならず、アメリカの全ての女性タイピストたちは、それぞれの形で、オール女史の遺志を受け継ぐことになりました。そのような形でオール女史の遺志は、その後のアメリカにおける女性の社会参画と、アメリカ社会における女性の地位向上とに、多大な影響を与えていくことになるのです。
(メアリー・オール終わり)