中学生たちに、「がんばってネ」と表記することがあるかと尋ねてみると、キョトンとしている。「8時だョ!全員集合」みたいに、文末をカタカタにしていると言うと、この世代でも大きく「あー」と納得してくれた。この文末の助詞のカタカナ表記は、意外なことに大学生世代には概して評判が悪い。お母さんが書いたせっかくの置き手紙を見て、「昭和時代」の表記だ、やはり「昭和人間」だ、無理して若ぶっているなどと反感を抱くのは、不幸なことだ。よく伝わるようにと親世代が身に付けたカジュアルな表記が、誤解やディスコミュニケーションをもたらしてしまう。誰も望んでいない悲劇である。
文字面には、かえって新たな女子らしさが強く表れることも起きた。「がんばってne」は女子中学生あたりにピークを持つ。そして、ロシア文字の形を借りて「がんばってиё」とギャル文字のようになっていた。一方で、言語表現の性差が「・・・だわ」「・・・よね」などの文末表現から消えつつあることもよく指摘される。女学生の下品な言葉遣いからお嬢さまことばまで浮き沈みを経て、女子の話しことばからも消えつつあり、テレビなどで聞かれる「オネエことば」やアニメの令嬢の口調へと変質しつつあるともみられる。
敬称の「ちゃん」を「(○の中にc)」と書く、これには「あー」と思い出したような女子の声がする。「ちゃん」とは知らない男子は、女子は名前に何で著作権を主張しているのかと「コピーライト」の記号と勘違いすることがある、とここでも言うと、うんとうなずくのはやはり男子だ。
「○○さんへ」と書く時の助詞の「へ」を「」と書くものについて、「見下す意味がある」と男子が語る。使ったのは小学校の時まで、とのことだ。宛名の人にいなくなってほしいという意味を込めているという物騒な話さえ聞いたことがあるが、こういう噂は今でも広まっているのだ。辞書の語釈にも、「憎い」に「できるなら抹殺したいくらいだ」とあったりする。「」が届いたことを思い起こした男子学生の話を紹介すると大笑いになった。無論、文字でのいじめも良くないともっていく。好意の裏返しだったのかもしれない。
顔文字も、「顔+文字」というくらいで、絵文字のような読みを伴うことはさすがに稀だが、字数も費やし、文字列中で文字のように振る舞うようになって久しい。
(・ω・)
ギリシャ文字のΩ(オメガ)は、大きいオであり、富山県の「お」を思い起こさせる。「Ο・ο」(オミクロン)の対である。このΩの小文字ωは、ここではいったい何をかたどっているのか。
アヒル口
かわいい、しかし男子が違うという。猫や犬、ハムスター、アザラシなどのマズル(鼻と口の部分)を指すという指摘も出る。ヒゲも描いてみると、確かにそのようだ。しかし、大学の文学部では、2ちゃんねるに詳しいという男子がもとは違っていたと指摘してきたことがあった。もともとアスキーアートで、この「ω」の部分は人の鼻だったと言うのだ。だいぶ印象が変わってくる。
具体物をやや抽象化したのが絵文字だが、イメージの激変に耐えきれない生徒たちが驚く。その大学では、その鼻起源説を紹介すると別の男子が、自分はもっとその道に詳しいと言って、おおもとのアスキーアートでは、顎、外国人男性の少し割れた顎だったと述べた。さらにもっと変な解釈も出てくるのだが、もうイメージは攪乱され、大混乱となる。史実はたかだか10年余りの中にあるのだろうが、要は、使い手と読み手が限られている場合、どう意識して使って、受け止められているかで十分なのだ。