シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―

第一回:はじめに

筆者:
2017年4月14日

トナカイ牧夫の奥さんたちと筆者

私は現在、東北大学東北アジア研究センターで文化人類学を研究しています。文化人類学とは、世界のさまざまな文化を理解し、人類社会・文化の多様性と普遍性について研究する学問で、この学問の特徴的な研究方法にフィールドワークがあります。自分と異なる文化を内側から深く理解するために、民族集団の中に実際に長期間滞在して調査をします。

ロシア連邦内西シベリア地方の北方少数民族のひとつであるハンティ人(以下、ハンティ)を研究対象に選び、2011年から2012年の間、2015年の秋、2016年の春・秋と通算11か月程度の現地調査を行いました。

ハンティ-マンシ自治管区とヤマロ-ネネツ自治管区の位置(クリックで拡大)

シベリアには約40の少数民族がおり、ハンティもそのひとつで、西シベリアのオビ川【注1】中流域とその支流域に約3万人が暮らしています。固有言語であるハンティ語【注2】を持っており、現在でも年配の方を主として半分以上がハンティ語を理解し話しますが、ソ連時代に学校教育でロシア語を学ぶようになったため、ロシア語も普及しています。都市部で生活する者は三分の一程度であり、その他の三分の二は人口10人以下~2000人程度の集落や村で定住生活をするか、森の中でトナカイを飼育しながら天幕(テント)に住み移動生活をしています。小さな集落や森においても、完全な自給自足ではありませんが、漁撈(ぎょろう)【注3】や狩猟、採集、トナカイ牧畜を複合的に営んで生活しています。

なぜシベリアの北方少数民族を調査対象に選んだのかというと、それは私が生まれ育った環境と関係しています。私は静岡県の中山間地域の出身で、祖父は樵(きこり)でした。彼は山を所有する地主の所で働き、祖母はその家に奉公に出ていました。そこで二人は知り合ったようです。林業は第二次世界大戦後から1960年代までは非常に活気のある産業でしたが、木材輸入の自由化以降、急激に衰えていきました。林業従事者とその家族が村から去っていき、過疎化が進み村の社会構造が変化しました。そして、樵たちも生き方を変えていきました。

私はそうしたことを見たり聞いたりしながら育ち、次第に自然環境から食料等を生産する人々の社会や文化が、世界的な政治経済の動きの影響を受けてどのように変化するのか、ということに興味を持つようになりました。さらに、より急激で大規模な変化であったソ連の崩壊とそれに伴う国家体制転換の影響を現地の人々はどのように受け止めて、自らの暮らしを変えているのだろうかという興味に発展し、大学院に進学してシベリアの北方少数民族を対象に研究を始めました。しかし、実際にフィールドワークを行ってハンティたちと過ごすうちに、そうした社会・文化変容への興味以上に、圧倒的な広大で厳しい自然の中で暮らす彼らの生活や生業技術そのものにより魅かれていきました。そこには、ハンティたちの奥深い自然観や知恵がありました。

そうした経緯を経て、現在ではトナカイ牧畜や漁撈といった生業を中心に研究を行っています。次回から私のフィールドワーク体験について書いていきたいと思います。

いろいろな模様のトナカイ

* * *

  1. オビ川
    ロシア連邦,西シベリアを北流して北極海のオビ湾に注ぐ大河。アルタイ山脈に源を発し,西シベリア低地を貫流する。冬季は結氷。長さ3680キロメートル。(『大辞林 第三版』「オビ」)
  2. ハンティ語
    ウラル語族、フィン・ウゴル語派、ウゴル諸語の中のオビ・ウゴル諸語に属する。(『言語学大辞典』)
  3. 魚介類や海藻などをとること。また,その作業。(『大辞林 第三版』)。漁業が産業としての経済活動を指すのに対して、漁撈は魚を獲る行為そのものを指す。

筆者プロフィール

大石 侑香 ( おおいし・ゆか)

東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

編集部から

文化人類学を研究している大石侑香先生の連載がスタートしました。第一回では先生が研究対象にしているロシア連邦西シベリアに住むハンティ達の概要、そしてなぜこの地域に興味を持ったのかを紹介しています。次回はフィールドワークを開始するまでの話です。