「百学連環」を読む

第127回 「普通」とはなにか

筆者:
2013年9月27日

前回は、学術に「普通(common)」と「個別(particular)」という二つの性質があるという分類が論じられました。これは、「百学連環」という講義全体に関わることでもあります。今回はそのことを見ておきましょう。

そこでまずは「百学連環」本編全体で、学術がどのように分類、配置されているかを眺めてみます。『西周全集』第4巻の巻頭には、編者の大久保利謙氏がつくった詳細な目次が掲げられています。そこでは、学術が大小四つの水準からなる階層構造で表現してあります。例えば、「普通学」の下に「歴史」があり、その下に「正史」があり、さらにその下に「万国史」があるという具合に、大分類から小分類へと細かくなっていきます。

ここでは全体を概観したいので、大きいほうから二つの分類だけに注目して一覧してみましょう。ただし、particular については、「殊別」ではなく、前回お示しした現代語訳に合わせて「個別」と変えてあります。また、それぞれの漢語に対応する英語を括弧に入れて示します。

普通学(Common Science)
 歴史(History)
 地理学(Geography)
 文章学(Literature)
 数学(Mathematics)

個別学(Particular Science)
 心理上学(Intellectual Science)
 物理上学(Physical Science)

前回、この分類に初めて触れたとき、ちょっと違和感があったと述べました。印象では、「歴史」や「地理学」は「個別学」のように思えるし、逆に「物理学」はむしろ「普通学」なのではないか、とも感じたからでした。

では、西先生はどういう考えから、このような分類を施しているのでしょうか。本連載では、「百学連環」の「総論」を読んでいるのですが、ここでは、上記の疑問について検討するために、少し「本編」を読んでみようと思います。

さて、上記のように「百学連環」第一編の筆頭に置かれているのが「普通学」の「第一 歴史」です。その冒頭で、西先生はこのように述べます。

Common Science ち普通の學の性質なるもの四ツあり。第一 History 第二 Geography 第三 Literature 第四 Mathematics 是なり。此四學は普通の性質たる如何となれは、第一 History なるものは古來ありし所の事跡を擧て書キ記し、所謂溫故知新の道理に適ふを以て普通とす。學者苟も今を知るを要せんには、必す先つ之を古に考へ知らさるへからす。

(「百學連環」第一編、『西周全集』第4巻、73ページ)

 

例によって訳してみましょう。

「普通学(Common Science)」の性質をもつ学問には、次の四つがある。つまり、「歴史」「地理学」「文学」「数学」である。この四学が普通の性質を具えているとはどういうことか。例えば、第一に挙げた「歴史」は、古来の出来事を挙げて書き記す。これはいわゆる「温故知新」の道理にかなっている。だから「普通」なのである。学者は、いやしくも現在について知りたいと思えば、その前に過去について考え、知らなければならない。

いかがでしょうか。第50回「温故知新」以来、何度かこのことの重要性が強調される場面を見てきました。過去を知ることで現在が分かる。過去のことは現在に通じる。歴史が普通学と言われるのは、どうやら過去から現在まで通じるものがあるという観点からのようです。

いま見た箇所に続いて、西先生は具体例を挙げています。ここでは要約してご紹介しますと、こんな話です。「太陽とはなにか」ということについて、昔からいろいろな説が唱えられてきた。古代では巨大な火の塊と考えられていた。中古になって、太陽は火の塊などではなく、地球のような光を発しない天体だと見なされた。ところが現在は、古代と同様に、太陽は巨大な火の塊だと捉えられるようになった。こんな例を述べてから、次のように解説します。

史を以て普通の性質とするは略此の如く、古今に通するに依る故なり。
 凡そ學んて今をしらんには、必しも之を古に考へさるへからす。學は素より古へを知り、今を知り、彼れを知り、己レを知るを要するか故に、總て諸學を以て史と稱するも亦可なりとす。

(「百學連環」第一編、『西周全集』第4巻、73-74ページ)

 

訳します。

歴史が「普通」の性質を具えているという意味は、大まかにいって以上のように、古今に通じることだからである。
 なにかを学んで現在を知ろうと思えば、過去を知る必要がある。学問とは、もとより過去を知り、現在を知り、彼を知り、己を知る必要があるものだ。だから、あらゆる諸学を「歴史」と見立ててもよいぐらいだ。

このように、どうやら現在の歴史学ということで私たちが連想するよりはるかに大きな意味で、西先生は歴史が普通学であると考えているようです。歴史は個々の出来事を記すもの、という観点から見ると、個別学なのではないかと思えるのですが、どうやら西先生の見立ては、過去と現在に通じるものがあるということに力点があるようなのです。そして、それを「普通」、普(あまね)く通じる性質であると見ているのでした。

ただし、上記の四学は普通学だといっても、その諸学の下に属するさまざまな学の中には、個別の性質をもったものもあるし、必ずしも普通/個別をきれいに区別できないこともあると西先生は注意を促しています(『西周全集』第4巻、108ページ)。

次に、「個別」についても見ておくことにします。

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=卽(U+537D)
=歷(U+6B77)

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。