さて、前回は「普遍学」と「個別学」のうち、前者について検討しました。続いて「個別学」についても見ておきましょう。
すでに述べたように、素朴な疑問として、物理学がなぜ個別学に分類されるのかということが気になります。そこで、「百学連環」の本編のうち、関連する箇所を覗いてみることにします。
まず、本編の「第二編」冒頭、これから個別学のパートに入りますよ、というところでこんなふうに述べられています。
Particular Science 即ち殊別學の性質に二ツの區別あり。Intellectual Science 及ひ Physical Science 是なり。心理上の學は分つて三種とす。第一 Theology 第二 Philosophy 第三 Politics & Law 等なり。
(「百學連環」第二編、『西周全集』第4巻、111ページ)
英単語には、それぞれ次のような漢語が左側に添えられています。
Intellectual 心理上ノ Physical 物理上ノ Science 學 Theology 神理學 Philosophy 哲學 Politics 政事 Law 法律
訳してみましょう。
「個別学(Particular Science)」には二つの性質がある。「心理系学問(Intellectual Science)」と「物理系学問(Physical Science)」である。心理学系はさらに三種類に分かれる。神学、哲学、政治・法学である。
特に「個別学」とはなにかといった説明は見あたらず、西先生はそのまま神学と宗教の解説に入っています。人民によってなにを神とするかは違うとか、宗派の争いがあるといった概要を述べたうえで、そこからしばらく、日本、支那、天竺、百児西亜(ゾロアスター)、小亜細亜、耶蘇教、回々教という具合に、やや詳しく解説してゆきます。
次に論じられる哲学も、論理学、生理学、存在論、倫理、政治哲学、美学の六分野に分けられると述べた後で、それぞれについて解説しています。ここでも、西洋の哲学史を辿ってから、中国に目を移し、人物や文化によって考え方が違うことに注目しています。「個別学」たる所以でありましょう。
では、物理学はどうか。「第二編」の「第二」として「物理上学(Physical Science)」が俎上に載せられます。上記の現代語訳では、これを「物理系学問」と訳しました。その冒頭では、「物理上学」を「物理学(Physics)」「天文学」「化学」「博物誌」の四つに分けています。
その上で「物理学」の解説が始まります。そこではまず、イギリスにおいて Physics は Natural Philosophy(物理上哲学)とも称されること。これは、Mental Philosophy(心理上哲学)に対するものであることが述べられます。Natural Philosophy とは、現在では「自然哲学」と訳されもします。「自然科学(Natural Science)」という名称が普及する以前、いまでいう科学に該当する領域を「自然哲学」と称していたのでした。
いずれにしても、ここには「物理」と「心理」を対で考える発想が見られることに注意しておきましょう。現在の分類の仕方でいえば、自然科学と人文学に対応する発想でもあります。
さて、この「物理学」を論じるくだりで、いま私たちが注目している common と particular に関する説明があります。その箇所を見ておきましょう。
格物學と化學とは最も混雑し易きか故に、之を分明に區別せさるへからす。此二學は皆 matter を論するものにて、格物學はマットルの more common なるものに就て論し、化學はマットルの more particular なるものに就て論す。
普通の物とは譬へは水に物を沈めるとし、石も沈ミ、鐵も沈ミ、鉛も、金も、銀も沈むか如き、是皆沈む物の普通たり。殊別とは一ツ一ツの物に就て論するものにて、譬へは金は金の引力あり、銀は銀の引力あり、鐵は鐵の引力ありと論するか如く、物に就て悉く區別して論するものなり。
(「百學連環」第二編、259-260ページ)
上記中、matter には「物質」、common には「普通」、particular には「殊別」という漢語が左側に振られています。訳してみます。
物理学と化学はたいへん混同しやすいものだけに、はっきり区別する必要がある。この二つの学は、いずれも「物質(matter)」を論じるものだ。「物理学」では、物質について、より普通の側面を扱い、「化学」では、より個別の側面を扱う。
ここで言う「普通」とはなにか。例えば、水に物を沈める場合で考えよう。石でも鉄でも鉛でも金でも銀でも、いずれも水に沈む。つまり、これらの物質はどれも水に沈む点で、共通の性質を持つ(普通である)。他方で「個別」とは、〔物質の共通性ではなく〕一つ一つの物質の性質のことだ。例えば、金には金の引力があり、銀には銀の引力があり、鉄には鉄の引力があるという具合に、物質をことごとく区別して論じるのが、個別ということである。
ご覧のように、個別の物質に共通する性質を見てゆくのが「普通(common)」であり、むしろ個物の違いをそれぞれ見てゆくのが「個別(particular)」という区別のようです。
西先生の見立てとしては、物理学も化学も物質という具体的な個物を扱う学問であり、物理学のほうは中でも普遍的な性質を扱うもの、化学は個別の性質を扱うものということでしょうか。
普通学と個別学の分類基準が、今ひとつ腑に落ちません。といっても、分類というものは、必ずある観点の表明でもあります。西先生による学問分類の是非というよりは、その分類は、果たしてどういった発想からなされているかということを、できれば理解したいと思っています。
再び「総論」に戻って、残る部分を読みながら考えてみることにしましょう。
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即=卽(U+537D)
神=神(U+FA19)