場面:祇園御霊会で田楽(でんがく)が行われているところ
場所:平安京の大路
時節:六月十四日の遷幸の行列がある折
人物:[ア]榊を持つ童 [イ]騎尻(のりじり) [ウ]棒持ちの坊主頭 [エ][オ][カ]編木を持つ者 [キ][ク]腰太鼓を打つ者 [ケ]横笛を吹く者 [コ]鼓を投げる者 [サ]狩衣姿の男 [シ]侍女 [ス]市女傘の女性 [セ]僧侶 [ソ]童 [タ]肩車をした男
建物など:①棟門(むなもん) ②棟瓦 ③切妻破風 ④蟇股(かえるまた) ⑤腕木(うでき) ⑥肘木(ひじき) ⑦冠木(かぶき) ⑧築地
持ち物など:㋐幣 ㋑榊 ㋒細纓・緌の冠 ㋓裲襠(りょうとう) ㋔鞭 ㋕・㋛藺笠(いがさ) ㋖編木(びんざさら) ㋗腰太鼓 ㋘撥 ㋙横笛 ㋚鼓 ㋜高足(たかあし) ㋝立烏帽子 ㋞市女傘
はじめに 今回は、遊びというより、見て楽しむ芸能の一つ、田楽を扱います。集団で行なう歌舞音曲が合わさったもので、第57回で見ました「安楽花(やすらいばな)」と似た面があります。田楽は、今日にまで各地に様々な形で伝承されている芸能の一つで、中には重要無形民俗文化財やユネスコ無形文化遺産に指定されているものがあります。
田楽とは 田楽は、歴史的に次の三種に分けて考えられています。第一は田の神に豊作を願って田植えを囃す楽、第二は専門家した職業芸能者たちによる法師田楽、第三は平安時代後期から京都の住民たちが行った風流田楽になります。
第一のものは、花田植えとも呼ばれ、農民たちが担いました。『栄花物語』「御裳着」巻に、藤原道長が娘の太皇太后彰子に田植えを見せる際に行わせたことが語られています。今日でも田植えの行事として各地で見ることができます。
普通に田楽と呼ばれるのは、寺社の祭礼などで行われた今回の場面の第二のものになります。後で詳しく見ることにしましょう。これも今日まで伝えられています。
第三のものは、第一と第二のものが合わさったような一過性のもので、京内を練り歩いて風流を競うことに眼目がありました。その際たるものが、永長元年(一〇九六)の「永長の大田楽」と呼ばれる大流行でした。その様子は大江匡房『洛陽田楽記』などに記されています。
絵巻の場面 それでは絵巻の田楽が行われた場を確認しましょう。この場は、京都三大祭の一つ、祇園祭のもととなる祇園御霊会(ぎおんごりょうえ。祇園会とも)です。この祭礼については今後採り上げる予定ですので、簡単に触れるだけにしておきます。夏の疫病流行をもたらす御霊をしずめる為に始められた祭礼でした。陰暦六月七日に御旅所に神輿渡御が行われ、七日後の十四日に三基の神輿の巡幸行列が都大路で盛大にされました。
画面はこの行列の一部になります。画面下に描かれた㋐幣を付けた㋑榊を持つ[ア]童、その後ろに騎乗しているのは[イ]騎尻(騎手)で、この二人は行列の一員になります。騎尻は㋒細纓・緌の冠に、㋓裲襠(長方形の布の中央にある穴に頭を通し両端を胸と背に垂らして着る貫頭衣)を着け、背中に㋔鞭を指しています。この画面の後には、さらに行列が詳しく描かれています。
そして、田楽の一行も行列に加わったのでした。田楽という芸能披露の場は祭礼になるのです。
田楽の様子 続いて田楽の様子を見てみましょう。見物人がたくさん描かれていますが、田楽の一団は、何人でしょうか。被り物や持ち物で分かりますね。この一団は七人ではなく八人になります。後で触れますが、[ウ]棒持ちの坊主頭もこの一員なのです。残りの七人は、水干姿で頭に㋕藺笠を被っています。これが田楽衣装の特徴で、原典も線描のみで分かりませんが、水干装束には色彩豊かに意匠が凝らされていました。
持ち物を見てみましょう。[エ][オ][カ]三人が半円形に描かれた物を両手で持っていますね。これは㋖編木(ささら、とも)と呼ぶ打楽器の一種です。原典では簡略化されていますが、数十枚の短冊形薄板のそれぞれ一辺を紐で連ねて綴じ合わせています。両端の取っ手を持って振り合わすことで音を出します。左側の [カ]一人は、右足を上げた姿勢になっていますね。これは拍子をとりながら踊っているのです。もう二人も同じようにしているはずです。
編木を持つ三人の左側には、腰に結わえた㋗大鼓を㋘撥で鳴らしている[キ][ク]二人が見えます。腰太鼓とも言い、編木と共に田楽独特の楽器です。
腰太鼓の左側の[ケ]一人は㋙横笛です。太鼓と笛、これは今日でもお囃子の代表的な楽器になっていますね。
一団の中央には、㋚鼓を振り上げている[コ]者がいます。これも田楽の一端で、個人技を見せる中門口(ちゅうもんぐち)と呼ぶ一つです。面白おかしく振り上げて、受け取るのでしょう。これは輪鼓(りゅうご)と呼ぶ芸かもしれません。
以上で七人、もう一人は、先に示しました[ウ]棒持ちの坊主頭です。後ろ腰に見えるのは、㋛藺笠と思われますので、この一団の一員になります。また、持っている棒も田楽の道具で㋜高足と言い、上部には両側に尽き出ている横木が見えます。この横木に両足を乗せて飛び跳ねたようです。この芸も中門口の一つで、これを高足と言う場合もあります。料理に田楽焼きがありますが、その謂れは、この一本棒に乗る高足の姿と似ているからとされています。
この他に一足(いっそく)・刀玉(かたなだま)・品玉(しなだま)などという芸もありました。一足は高足と同じとする説もありますが、二つを並列した用例がありますので、違うものかもしれません。あるいは歯が一枚の下駄を履く芸でしょうか。刀玉は数本の刀を投げ上げて取る芸、品玉はお手玉のような芸でしょう。今日の大道芸でも見られますね。これらは高足も含めて、渡来系の散楽芸(さるがくげい。滑稽な芸)と考えられています。
田楽は一団で躍るのと、個人技を見せる中門口とからなっています。それだけに面白い見ものであったのです。画面にも見物人が大勢描かれています。
見物人たち まず門前を見てみましょう。この門は①棟門といい、四脚門(大臣門)に次ぐ格式がありました。屋根は②棟瓦を乗せた③切妻破風で、④蟇股、⑤腕木、⑥肘木、⑦冠木がよく分かります。門の両袖にはしっかりと⑧築地をめぐらしていますので、公卿の家と思われます。この門から出てきて見物しているのは、家人たちでしょう。㋝立烏帽子に[サ]狩衣姿の男たちに交じって[シ]侍女の姿も見えます。田楽はこの家に向かってされているようですので、わざわざ見に出てきたのかもしれません。
画面右下には、㋞市女傘の[ス]女性や[セ]僧侶、[ソ]童たちが見物しています。皆、口を開けていますので、面白がっているのです。
画面左上の見物人は、田楽を見ている一群と、反対側を見ている一群に分かれていますね。この理由は、絵巻を広げていけば分かります。騎尻が乗った馬が何に驚いたのか、あばれだし、落馬する者もいたのです。子どもを[タ]肩車にした男たちなどは、田楽ではなくこのアクシデントを見て笑っているのです。人々の視線を分けることで場面の転換を示す、絵巻の技法ということになります。
絵巻の意義 田楽は人々に親しまれた芸能でした。この祇園御霊会ではこの画面の後に乗馬した騎馬田楽が描かれた他に、『年中行事絵巻』には、巻十二の稲荷祭での騎馬田楽、巻十三の城南宮祭での童田楽、山城某社での法師田楽なども描かれています。それだけ人気があり、流行したわけですね。この見物人たちが祭に加わって田楽をした事態も想像できます。ですから、こうした田楽は、冒頭にも記しましたように、田植えの行事や、寺社の祭礼として今日まで伝えられたのでしょう。その歴史の始まりあたりの様子を伝えているところに、この絵巻の意義があるのです。
なお、寺社の祭礼のものとしては、奈良県の春日大社の若宮御祭での田楽座、和歌山県の熊野那智大社の那智の田楽などが知られています。しかし、同じ田楽でも、この両者を比較しただけで、様式や段取りに大きな違いがあることが分かります。これらの様子は、ウェブ上の動画で見ることができますので、さらに絵巻との相違なども考えてみると面白いかもしれません。