子供のころの寒い日に、凍える手に握った小銭と引き替えに、近所の菓子屋で買った肉まんは、本当に美味しかった。
今では、カレーまん、ピザまんなど種類は増え、コンビニでも売られるようになっているが、大阪などの地では、肉まんのことを「豚まん」と称する。関西では「肉」といえばよく食べる牛肉を指すことが多いため、「肉まん」で中に豚肉が入っていては抗議されかねない。そこで、「豚まん」という、関東ならばややどぎつくも感じられるが、おかしみのある表現を好む傾向のある関西弁にフィットするような表現として広まったようだ。そうした食文化と言語習慣によって、たまたまそうなったということなのであろう。
肉まんよりもあんまん、チョコよりもアンコというように、アンコに目のない人がいる。アンコの「アン」は漢字で書けば「餡」であり、その字と語は、餃子の餡(アン)、餡(あん)かけ、と様々な食べ物を指す。
その漢字の「餡」(カン・コン)は、中国では、米や小麦粉でできた饅頭(第21回参照)や餃子などの中に入れる肉や野菜、小豆などでできた食品を指すことばである。現代中国での発音は「xian4 シエン」であり、カン、コン、シエンといずれも「アン」とはほど遠い発音ばかりだ(第29回参照)。どういう変転の歴史を経ているのだろうか。
日本では現在、「餡」は「あん」「アン」と仮名表記されたり、漢字でも食偏が新字体のような形になったりするほか、食偏の右の部分が「稲(稻)の旁」のように書かれることもある。後者は、形のよく似た字と混淆したことによる字体である。
その「餡」を、中国で使うそのままの意味で、唐音つまり比較的新しく中国南方から伝わった発音で「アン」とともに受け容れたのは、室町時代のことであった。現代の日本でも、餃子の餡というように使っている、その意味のままで伝来したのだった。
それが、江戸時代になると、次第に小豆に砂糖を加えて作ったアンコを指すことが増えていく(後述するように、この餡に「コ」が付されて「アンコ」と呼ばれるのはさらに後のこと)。ここまでは中国の「餡」と共通するものなのだが、こうなると食べ物の中身としてのものとは限らなくなる。さらに、団子に塗るアンコなど、食品の周りや上にかけるそれをも指すようになった。
そしてついに、江戸時代のうちに、糊のような状態になっているという特徴に着目し、同様の状態の「くずあん」「くずだまり」、つまり、くず粉や片栗粉に、砂糖、酒、味醂や醤油などを加えてとろみのあるように作り、うどんや魚などにかける「あんかけ」の「あん」までも、指すようになったのである。
以上のように、「餡」は日本で何段階も意味が拡張したものである。街中やメニューなどではしばしば見掛けるものの、常用漢字に追加される候補にもまず挙がらない「餡」は、確かに「あんかけ」の「あん」とは別の物、別のことばとさえ意識されているのかもしれない。ちなみに、あんかけの「あん」は、中国では全く別の漢字で「芡 qiàn チエン」と表現されている。中国では「餡」(xiàn シエン)は、現在、食品や菓子などの中身を広く指すことから、さらに内実や悪だくみまで指す用法を生んでいる。なお、かつての朝鮮では「餡」の字を用いた語が使われることもあったが、ベトナムではあまり用いられなかったようだ。
日本で「あん」を「あんこ」というのは、明治時代から現れる俗語で、「餡粉」などの字も当てられた。中国では「餡」を口語で「餡子」(xiànzi シエンズ)ともいうが、それは『水滸伝』のころよりあり、その影響が日本に及んだのかもしれない。
最初に戻って、「肉まん、あんまん」というその「餡饅」とも書ける食べ物は、上記のように本来の字の意味から考えれば、「何か」が中身に入っている饅頭ということしか意味できなかったものなのであった。