出典
十八史略(じゅうはつしりゃく)・春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)・呉(ご)―史記(しき)・越王(えつおう)勾践(こうせん)世家(せいか)
意味
将来の成功のため、長い間あらゆる苦しみに堪えること。とくに復讎(ふくしゅう)のために艱難(かんなん)を忍ぶこと。「臥薪(がしん)」は、たきぎの上に寝ること。「嘗胆(しょうたん)」は、苦い獣の胆をなめること。共につらいことのたとえ。
原文
〈十八史略(じゅうはっしりゃく)〉
夫差、志レ復レ讎、朝夕臥二薪中一、出入使二人呼一曰、夫差、而忘三越人之殺二而父一邪。
〔夫差(ふさ)、讎(あだ)を復せんことを志し、朝夕(ちょうせき)薪中(しんちゅう)に臥(ふ)し、出入するに人をして呼ばしめて曰(いわ)く、夫差、而(なんじ)は越人(えつひと)の而が父を殺せしを忘れたるか、と。〕
訳文
(呉王(ごおう)闔閭(こうりょ)は越(えつ)に攻めこんだが、越王勾践(こうせん)に打ち破られ、負傷して死んだ。闔閭は、臨終のとき子の夫差(ふさ)に「この恨みを忘れるな。」と言い残した。)夫差は復讎(ふくしゅう)を誓い、朝夕薪(たきぎ)の上に寝てその痛さに堪えながら、部屋に人が出入りするたびに次のように言わせた。「夫差よ。おまえは越人が、おまえの父を殺したのを忘れたか。」
原文
〈史記(しき)〉
越王勾践反レ国。及苦レ身焦レ思、置二胆於坐一、坐臥即仰レ胆、飲食亦嘗レ胆也。曰、女、忘二会稽之恥一邪。
〔越王(えつおう)勾践(こうせん)国に反(かえ)る。及(すなわ)ち身を苦しめ思いを焦がし、胆を坐(ざ)に置き、坐臥(ざが)には即(すなわ)ち胆を仰ぎ、飲食にも亦(ま)た胆を嘗(な)む。曰(いわ)く、女(なんじ)、会稽(かいけい)の恥を忘れたるか、と。〕
訳文
(越王(えつおう)勾践(こうせん)は夫差(ふさ)を攻め滅ぼそうとした。夫差は勾践を会稽山(かいけいざん)に包囲した。勾践は和睦(わぼく)を申し入れ、夫差はそれを受け入れた。)越王勾践は国に帰ると、わざと自分の身心を苦しめ、敗戦の恥のつらさを忘れまいとした。獣の胆を座席の傍らに置いて、起き伏しするたびにつるしてある胆をなめ、また食事のときにもいつも胆をなめては、その苦さを味わって、そのたびに「おまえは会稽山の恥を忘れたのか。」と自分に言いきかせた。
解説
『史記(しき)』には「臥薪(がしん)」の故事は見えず、「嘗胆(しょうたん)」の記事のみが越王(えつおう)勾践(こうせん)世家(せいか)にある。『十八史略(じゅうはっしりゃく)』春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)・呉(ご)の条には両者ともに記載されている。
類句
◆会稽(かいけい)の恥(はじ)◇会稽(かいけい)の恥(はじ)を雪(すす)ぐ