赤門をくぐる。昔、最高学府とは、この大学だけを指すことばだと思っていた。教室にも、さすがに眼光の鋭い受講者が多い。他大のレビューシートにはなかなか現れない語が、みな速書きながら読み取りやすい字形で書かれる。
この春には、縁あって旧著を一新したものも上梓した(『訓読みのはなし』 角川ソフィア文庫)。本をよく書きますね、と言われることがあるが、実際にはそれほど世には送れていない。私は急げば内容も表現も雑になりかねないので、編集の方々に迷惑をかけているが、ペースを守っていきたいと思っている。
少子化の中、また学術研究がしにくい時代に大学に職を得、頑張って本を出せば本の売れない時代になっていた。学生は新聞もほとんど読まず、テレビも見なくなってきた。
耳にする研究のための予算獲得合戦は、お隣の韓国でも熾烈なのだそうだ。日本よりも人口が少ないだけに、競争社会はより厳しいそうだ。ここしばらく書き続けている済州島で開かれた国際学会に参加してみて、やはりそこでも痛感したことは、漢字の研究者は日本以外の世界の国々には多いが、その関心のほとんどが漢字の起源(字源)、古代に向いているという現実だった。しかも日本で一般には人気のある字源説は、ほとんど顧みられていないことも分かる。世界中の漢字研究を結集する学会はまだない。
「異体字」「異形字」という用語が中国語での発表で使われている。「異体字」は韓国語でもそのまま朝鮮漢字音で読まれて使われている。この用語が飛び交うようになったのは戦後のことで、学史的な研究を編んだならば日本が主導したものと分かることだろう。
韓国は漢字を使わなくなってきたのに、漢字研究はまだ盛んである。ふだんの生活の中で使われないからこそ、康煕字典体のままでその煩瑣さが問題視されないのかもしれない。台湾にだって、かつては簡易化すべきかどうかという激しい議論があった。
日本は皮肉なことに、漢字を字体はともかくこれほど複雑に使うことで日本語を表記しているのに、そして大抵の人が漢字で困ってもいるのに、現在に至るまでの動態に迫ろうとする研究があまりなされない。中国、韓国では自国の文字史を解明しようとする研究が盛んになってきている。
懇親会では、中国語が飛び交う。「白酒」は、「しろざけ」ならばともかく、「パイチウ」はアルコール度数が高い。イッキ(一気飲み)で悲惨な事故も起きている。中国語圏の人たちはそれで親睦を深めるが、とくに日本人には無理は禁物のようだ。それでも、日本人の間で認知度が高まってきて、好きだという人もいる。「白湯」も「さゆ」よりも「パイタン」という読みが学生たちから出てくるようになってきた。この「湯」は中国ではスープの意であるため重言となるが、外来語の場合には「ハングル文字」(クルは文字の意 ハングル語は仮名語のような言い方)など、原語を知らない限り、やむを得ないものが多い。「重言」は、和語や漢語であっても時には仕方ない。「仮名文字」も「名」に文字の意があったといっても現代人には通じにくい。むしろ読み取りやすく、聞き取りやすくしている機能も見逃せない。
そういう非公式的な場を含めて、済州島で出会った方々の名前について、見ておこう。相変わらず私を含め日本人の姓名はもとより漢字がほとんどだが、字数や字種、読みが中国っぽくない。欧米人は、姓名をマテオリッチの頃と同様に、漢字3字で音訳をしているので、むしろ漢民族風だ。国名「芬蘭」(フィンランド)のように、姓名を3字とも草冠でそろえたフランス人女性もいらした。お話を伺うと、そこはかとなくオリエント学の流れと香りも感じられた。