1922年10月、マレーは『The Post Office Electrical Engineers’ Journal』誌に掲載された、ある論文に目をとめました。「国際5単位電信コード」(An International 5-Unit Telegraph Code)と題されたその論文は、ロンドン中央電信局のブース(Augustus Clinton Booth)という人物が書いたもので、5穴の鑽孔テープを使った電信に関するものでした。
この頃、ロンドン中央電信局では、3種類の5穴鑽孔テープに悩まされていました。ボードの電信機と、マレーの電信機と、そしてジーメンス&ハルスケ社の電信機が、それぞれ5穴の鑽孔テープを用いていたのですが、互いに全く異なる文字コードを用いていて、鑽孔テープにも電気信号にも互換性が無かったのです。これらの文字コードを統一したい、というのが、ブースの論文の主張でした。文字コードが統一されれば、ボードとマレーとジーメンスの電信機の間で、電文を打ち直すことなく、そのまま中継が可能になるはずだ、という主張でした。また、統一するならば、マレーやジーメンスの文字コードではなく、ボードの電信機で用いられている文字コードに全て統一するのが、最もコストが少なくて済む、とブースは提言していました。
ボード電信機の文字コードを、ブースが推したのには、もちろん理由がありました。マレーやジーメンスの電信機では、送信機はタイプライター型であり、送信者は文字コードを記憶する必要はありません。しかし、ボード電信機の送信機は、5つのキーの組み合わせで文字を表現するので、送信者は文字コードを記憶している必要があります。すなわち、文字コードが変更された場合、ボード電信機の送信者は、文字コードを一から記憶しなおす必要が生じます。しかし、マレーやジーメンスの電信機では、文字コードが変わったとしても、キー配列さえ変更しなければ、問題は起こらないとブースは考えたのです。
マレーは即座に反論を書きました。『The Post Office Electrical Engineers’ Journal』誌1923年1月号から、反論の要点を抜き出してみましょう。第一の問題は、マレー電信機の文字コードを、ボード電信機と同じ文字コードにするのは不可能だ、という点でした。マレー電信機では、Qと1、Wと2、Eと3、Rと4、Tと5、Yと6、Uと7、Iと8、Oと9、Pと0に、それぞれ同じ文字コードを割り当てています。これらの文字を、それぞれ同じキーに配置しているからです。しかし、ボード電信機では、Aと1、Eと2、Yと3、Uと4、Oと5、Jと6、Gと7、Bと8、Cと9、Dと0に、それぞれ同じ文字コードが割り当てられていて、マレー電信機とは組み合わせが全く違うのです。第二の問題は、「○○○○○」という文字コードをどの文字に割り当てるか、という点です。マレーは、「○○○○○」を何も印字しない文字コードとすることで、鑽孔テープの打ち間違いを簡単に直せるようにしました。しかし、ボード電信機の文字コードでは、「○○○○○」は「P」に割り当てられていて、打ち間違いに関しては、非常に都合の悪いことになっています。そして最大の問題は、ボード電信機の文字コードを国際化したとして、アメリカにある3000台以上のマレー電信機を全部スクラップにするのか、という点でした。本来、このような国際的な取り決めは、イギリスやフランスのような小国が決めるべきものではなく、世界の実情、とりわけアメリカのような大国の実情に則して決めるべきことだ、とマレーは反論をしめくくっています。
(ドナルド・マレー(12)に続く)