タイプライターに魅せられた男たち・第34回

ドナルド・マレー(12)

筆者:
2012年4月12日

1925年9月20日、マレーは60歳になりました。それを期にマレーは、電信業界から引退することを決めました。遠隔タイプライターに関するイギリス特許は、その大半をクリード社に売却しました。その後、マレー夫妻はロンドンを離れ、モナコのモンテカルロ郊外に落ち着きます。ここでマレーは、哲学書の執筆に取りかかりました。でも、マレー夫妻は、ずっとモナコに閉じこもっていたわけではありません。ニューヨークやサンフランシスコ、あるいは、甥のジョン(John O’Hara Cosgrave, II)がいるパリに、滞在したりもしていたようです。

1931年7月7日版ITA2 (『Telegraphen- und Fernsprech-Technik』誌1932年1月号)
1931年7月7日版ITA2 (『Telegraphen- und Fernsprech-Technik』誌1932年1月号)

その間にも、マレーの遠隔タイプライターは、世界を席巻していきました。背後には、論敵だったブースの姿がありました。1931年5月にスイスのベルンで開かれたCCIT(Comité Consultatif International des Communications Télégraphiques、国際電信通信諮問委員会)の席上、ブースは、マレー電信機の文字コードを、国際5単位電信コードに含めるよう提案したのです。この結果、マレーの文字コードは、ITA2 (International Telegraph Alphabet No. 2、国際電信アルファベット第2)という名で、世界中の遠隔タイプライターに用いられることが決まったのです。

一方、マレーは1939年から1940年にかけて、ロンドンのウィリアムズ&ノーゲート社から2巻組の哲学書を出版しました。『力の哲学』(The Philosophy of Power)というタイトルで、第1巻が『初等原理』(First Principles)、第2巻が『制御理論』(The Theory of Control)だったのですが、しかし、売れ行きはあまりかんばしくなかったようです。その後マレーは、第二次世界大戦中も執筆活動を続けました。そして1945年7月14日、レマン湖のほとり、静養先のテリテットで生涯を閉じます。79歳でした。メルボルンのヘンリー・ジョージ財団から出版された小冊子『オーストラリア、貧困か進歩か』(Australia: Poverty or Progress?)が、遺稿となりました。

戦後になってCCITは、CCITTそしてITU-Tへと組織変更されましたが、現在に至るまでITA2は守られ続けました。マレーの名は忘れ去られましたが、マレーが作った遠隔タイプライターの文字コードは、今も『ITU-T勧告S.1』として、世界中のテレタイプを繋いでいるのです。

(ドナルド・マレー終わり)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。なお次週からは、「人名用漢字の新字旧字」の特別編を5回の予定で掲載いたします。
好評発売中の単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もお引き立てのほどよろしくお願いいたします。