『三省堂国語辞典』の特色のひとつに、漢字の書き分けを徹底的に示すということがあります。たとえば、「はかる」の漢字表記について、「計る・量る・測る」と一括して示す辞書もありますが、『三国』では、「図る」「計る」「測る」「量る」、さらに、「諮る」「謀る」はそれぞれ別の項目にしています。
かつての国語審議会は、「『異字同訓』の漢字の用法」について文書を示しましたが、細かい書き分けにはこだわらなくていいとしていました。でも、『三国』の主幹だった見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)は、辞書までがそういう姿勢ではいけないと考えました。〈いくら審議会が〔こだわらなくていいと〕言っても、漢字で書きたい人にはその答えを与えておかなければならない〉(『辞書と日本語』玉川選書 p.139)と記しています。
『三国』の漢字の書き分けの方針を鮮やかに示しているのは、「とび……」で始まる項目です。「飛び上がる」と「跳び上がる」、「飛び移る」と「跳び移る」など、「飛」を書く場合と、「跳」を書く場合では意味が違うため、すべて別々の項目にしています。
今回の第六版でも、いくつか漢字の書き分けを増やしました。そのひとつに、「やむ」の書き分けがあります。「雨がやむ」の場合は「止」を、「死して後(のち)やむ」の場合は「已」を書くことを示しました。「止」は、続いてきたことがとまる場合に、「已」は、すっかりおわりになる場合に使います。
「已」を書く「やむ」には、もうひとつ、別の用法があります。「已むない」「已むに已まれぬ」「已むを得ず」などという用法です。これは「すっかりおわりになる」とは、ちょっと違うようです。では、どういう意味でしょうか。
いくつかの漢字字書には、「已むを得ず」の場合の「已」について、「中止する。そこまででやめる」などと書いてあります。でも、「中止する」ならば、「止むない」「止むに止まれぬ」「止むを得ず」と書いてもいいはずですが、ふつうはそう書きません。
熟語の意味から考えれば、この場合の「已む」は、「そうしないですむ」という意味です。第六版には、この意味も記しました。つまり、「已むを得ず」は、「そうしないですむ、ということがかなわないで=しかたなく」ということです。「そうしないですむ」という意味のときに「已む」を書くことを示した日本語辞書は、あまりないと思います。