タイプライターに魅せられた女たち・第90回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(15)

筆者:
2013年7月18日

1897年5月12日、ロングリー夫妻は、金婚式を祝いました。妻マーガレット66歳、夫エリアス73歳の金婚式でした。翌日の『Los Angeles Herald』紙は、こう伝えています。

昨日午後、エリアス・ロングリー夫妻の結婚50周年を記念して、素晴らしい宴会が、夫妻の自宅で催された。ハワード・ロングリー夫妻が取り仕切ったこの宴会は、細部に渡って、両親を驚かせるに十分なものだった。自宅は、隅から隅まで、美しい花で飾られていた。それらの花は、カゴや花瓶の選択も含め、友人たちからのプレゼントだった。

しかし、この頃からエリアスは肺結核の症状が出はじめ、少しずつ健康状態が悪化していきました。そして、1899年1月12日、エリアスは亡くなりました。75歳でした。4週間後、1899年2月7日付のロングリー夫人からマイナー宛の手紙には、こう綴られていました。

貴方から夫エリアス宛1月12日付けの、短いながらも、お心づかいのこもった手紙を読みました。まさにその日、夫の魂は、私たちのもとを旅立ちました。夫は長い間、重い病と闘っており、最近は少し良くなっていたのですが、体が非常に弱っておりました。そんなおり、夫は風邪を引いてしまいました。夫は外出を控えていましたが、インフルエンザが空気中に漂っていて、逃れることができなかったのです。体が非常に弱っていたため、抵抗力もほとんど失くなっており、水曜日には重篤な気管支炎を再発いたしました。そこから24時間、持ちませんでした。もちろん、貴方からの手紙を読むことはかないませんでした。もしインフルエンザにかからなければ、もう数年は生きられたかもしれません。しかし夫は、もう、主のもとに召されました。

1899年3月8日、息子のハワードが、32歳の若さで死去しました。ハワードも肺結核を患っており、父エリアスの後を追うように亡くなったのでした。ロングリー夫人は、ロサンゼルスの速記タイプライター電信学校を閉鎖し、サウスパサデナの自宅に閉じこもりがちになりました。ただし、外出は少なくなったものの、ロングリー夫人の筆まめ(というかタイプライターまめ)は、相変わらずでした。たとえばこの頃、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社が刊行したパンフレット『The History of Touch Typewriting』に、ロングリー夫人は以下の一文を寄せています。

夫エリアスが「Remington Typewriter No.2」を最初に家に持ち込んだのは、1880年のことでした。私は、タイプライターに興味を持ち、タイプライターに魅せられました。もちろん、その時点では、私自身がタイプライターの教師になるなどとは、夢にも思いませんでした。私は、この機械を正しく取り扱えるよう、付属の小冊子を注意深く読みました。しかしそこには、両手の指を一本ずつ使う、と書かれていたのです。あるいは、右手は二本の指を使ってもよい、と。私は驚きました。どうして全部の指じゃないのでしょう。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(16)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。