タイプライターに魅せられた女たち・第89回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(14)

筆者:
2013年7月11日

その頃シンシナティでは、ロングリー式速記タイプライティング専門学校を経営するトローブが、1888年7月25日におこなわれたタイプライターコンテストで、ソルトレークシティのマッガリンに敗退するという「事件」が起こっていました。しかし、ロングリー夫人は、この「事件」に対して、特に何のコメントも出しませんでした。というのも、この翌日にトローブが、「Caligraph No.2」を捨てて「Remington Standard Type-Writer No.2」に乗り換えることを宣言したからです。ロングリー夫人の運指法が悪いのではなく、「Caligraph No.2」と「Remington Standard Type-Writer No.2」の性能差なのだ、という形で、この「事件」は落着してしまったのです。

ロングリー夫人は、サウスパサデナにおいても、女性参政権運動の闘士として、活動を続けていました。1890年4月、ロサンゼルス女性参政権協会の会長に就任したロングリー夫人は、人民党(The People’s Party)との関係を強化していきました。そして1894年5月22日、カリフォルニアの人民党は、サクラメントで開催された党大会において、ロングリー夫人を副代表に選出しました。それはすなわち、カリフォルニアの人民党が、女性参政権の獲得を党の目標とする、ということを意味していました。

その間、ロングリー夫人は、タイプライター教育にも力を入れていました。手狭になった速記タイプライター電信学校を、ウィルソン・ブロックに移転し、さらに教室数を増やしたのです。また、1892年8月には、「Bar-Lock」も扱い始めました。「Bar-Lock」にはプラテンシフト機構はないものの、小文字が「Remington Standard Type-Writer No.2」と同じキー配列だったからです。

「Bar-Lock」

「Bar-Lock」

1895年5月、ロングリー夫妻の自宅前、サウスパサデナのミッション通りを、路面電車が開通しました。パサデナ&ロサンゼルス電気鉄道が敷設したもので、ミッション通りを西に向かった後、アロヨセコ川ぞいにロサンゼルスへと下り、スプリング通りを南に向かって、ウィルソン・ブロックのすぐそばを通るものでした。すなわち、ロングリー夫妻の自宅と、速記タイプライター電信学校を、路面電車が結んだのです。ロングリー夫妻にとっては、非常にラッキーな出来事でした。

アロヨセコ鉄橋を試運転中のパサデナ&ロサンゼルス電気鉄道(1895年3月7日)、背後はカリフォルニア・サザン鉄道
アロヨセコ鉄橋を試運転中のパサデナ&ロサンゼルス電気鉄道(1895年3月7日)、背後はカリフォルニア・サザン鉄道

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(15)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。