北京首都国际机场(北京首都国際空港)に迎えにきて下さった中国人の先生に「「串」の発音は? 意味は?」と尋ねられる。調べるといろいろあるために、中国語の通訳に困るそうだ。日本に滞在経験のある親切な方だった。中国の大学も、現在は日本と似て、何かと大変だという。
ただ中国では、若い人も古典、つまり漢籍を読むのが好きなのだそうだ。もちろん、簡体字に置き換えられて活字に翻刻され、句読点を加えたり注記がなされたり、あるいは現代語訳(漢字の量は倍増する)されたりしたものだろうが、時代の連続性が漢字によって保たれている。文学作品に限らずそれらの文字資料の電子化も、人海と機械によって圧倒的な速度で進められており、WEB上で享受する人も多いのだろう。
路上では看板に「(金3つ)」という字がここでも見られた。店名や人名なのだが、価値観云々だけでなく、表現の明確さがはっきりと現れている。「控股」「合股」のように、日本語の漢字からはとても意味を当てられない語も普通に使われている。「千万」は日本では「笑止千万」のように使うくらいだが、中国では、qian1wan4(チエンワン)と読んで、くれぐれも、必ずという意味でよく使われている。ちなみに韓国では「천만에요 チョンマネヨ」(どういたしまして)として、日常会話に登場する。「北京」は漢字音で「プッキョン」となるが、「香港」は「ホンコン」と広東語による英語風の発音を用いるのが韓国語である。「延吉」という地名を「연길(eon gil)」とハングルで表記した看板も見かける。北京はその名のとおり北方にある。
北京で開催された漢字についての研究発表会では、漢字に関する商品開発をしている社員や書家(芸術家)も発表されていた。これは、日本よりも発表者の幅が広い。
私が書いた日本語原稿では、不覚にもある古書名で「証」と「證」とが混在して使われていて、不統一となってしまっていた。中国語訳はと見ると、ともに簡体字となって統一されていた。さすが、そんな細かな差には目もくれない。そもそも日本語を理解してくれる漢字研究者は、中国では極めて限られている。
原稿の名字「鮎貝」が「鯰貝」に変えられていた。変換ソフトで自動的に繁体字に直すと、こうなってしまうようだ。「鯰」は国字とされることが多いが、唐代の本草書にあったことが日中の古書への引用文からうかがえる。それが日本でのみ使われ続けて佚存(いつぞん)文字のようになり、近代になって中国へと里帰りしたものと思われる。「鮎」は簡体字でさらに「(鮎列火がー)」となっていれば、その字体から意味が分かるだろう。ここではナマズの意になると考えたいが、今の中国では、政府の基本方針に合わないのだが意外と繁体字も流通しているので、字体だけを基準とした判断は危なっかしい。
「サワ」一つとっても、「沢」と「澤」と「」(簡体字)と漢字圏で三様に分かれて、おおむね1億人、1億人、13億人の目に日々入っている。字体の統一という理想論がときどき語られるが、読みや字義の差を抜きにしてそれが達成されるとしても、日本の字体が代表に選出されるとは思いにくい。字体統一は、夢物語のように感じられる。
「異体字」という用語は、中国の学界でもすでに普通に使用されるようになっている。正字が軸の対極にあるとするか、正字も俗字なども含めた相対的なものとするかなど、定義が使用者ごとにはっきりしない面があるのだが、中国では、漢字には「標準」というものが明確に存在するという意識が新たにも生まれているので、前者であるようだ。これは江戸時代からの和製漢語と考えられている。