『日本国語大辞典』をよむ

第80回 染色は動詞か?

筆者:
2021年3月28日

『日本国語大辞典』には「あいねずみ」という見出しが2つあるが、漢字列「藍鼠」が示されている「あいねずみ」を今回の話題の入口にしたい。ちなみにいえば、もう1つの「あいねずみ」には漢字列「間鼠」が示されている。語義についてはご確認ください。

あいねずみ【藍鼠】〔名〕染色の名。濃い青色がかった鼠色。藍色を帯びた鼠色。あいねず。あいけねずみ。*談義本・当世穴穿〔1769~71〕二・さがの釈伽もんどう「此世で、ろかう茶やあい鼠(ネズミ)をきせ、金もおるの帯に丸ぐけのこしおびさせてさへ女房は見あきる物を」*随筆・守貞漫稿〔1837~53〕一七「今世流布の染色には〈略〉此鼠色亦深川鼠銀鼠藍鼠漆鼠紅掛ねずみ等種々あり」*左千夫歌集〔1920〕〈伊藤左千夫〉明治四四年「藍鼠(アヰネズミ)似合へる袷(あはせ)も気乗りせず何に若葉に歎く君かも」

語釈の「染色の名」に少しひっかかりを感じた。どこにひっかかったかというと、「色の名」ではなく「染色の名」と説明されているところだ。そこで見出し「せんしょく」「そめいろ」を調べてみる。

せんしょく【染色】〔名〕(1)染め出した色。そめいろ。*後漢書-馬皇后紀「此繒特宜染色、故用之耳」(2)(─する)染料を用いて物に色素を浸透、定着させること。染料で着色すること。*稿本化学語彙〔1900〕〈桜井錠二・高松豊吉〉「Dyeing. Färberei, f 染色」*文学読本・理論篇〔1951〕Ⅱ・現代日本小説〈平野謙〉「既成文壇全体がひろい意味で東洋的諦念の世界に辿りつかんとする一種の人格修養論に染色されたことを意味する」*夏の終り〔1962〕〈瀬戸内晴美〉「娘時代女子美術学校で覚えた染色に打ちこみ」

そめいろ【染色】〔名〕染料に浸して染め出した色。染め上げた色。*伊呂波字類抄〔鎌倉〕「染色 ソメイロ」*謡曲・歌占〔1432頃〕「されば父は山、染め色とは風病の身色、しかも生老病死の次第おとれば」*浮世草子・傾城色三味線〔1701〕鄙・四「金子請取に参る時分、染色(ソメイロ)定紋書付て参るべし」*浄瑠璃・持統天皇歌軍法〔1713〕二「はやそめ色の、ひがしじろ、空にたな引山かづら長歌親王諸共に」*二人女房〔1891~92〕〈尾崎紅葉〉中・一「其中に小袖の染色(ソメイロ)模様の工夫も挿みて、嬉しさ、気遣しさ」

『日本国語大辞典』においては見出し「せんしょく」の語義は(1)(2)2つに分けて記述されていて、(1)は「染め出した色」で、(2)は「染料で着色すること」と記されている。品詞でいえば、(1)は名詞で、(2)は動詞だ。筆者がひっかかったのは、「センショク(染色)」は名詞というよりは、「センショクスル」という動詞で使うことが多い、あるいは動詞として使われた例を多く目にする、と感じているからであろう。そのあたりの「感覚」はどうなのか、と思って『広辞苑』第7版を調べてみると、やはり語義を2つに分けて記述しており、①が名詞、②が動詞となっている。これは『日本国語大辞典』と通う。小型国語辞書はどうかと思って、『三省堂国語辞典』第7版を調べてみた。すると「①布・糸を、好みの色にそめること。②そめた色」とあって、最初に動詞、次に名詞の語義をあげている。この「感覚」が筆者の「感覚」だ。

「ソメイロ」の語義は〈染めた色〉だから「ソメイロ」が名詞としてのみ使われることは当然であるが、「センショク」は「スル」を下接すれば動詞としても使うことができる。(そのように、「スル」を下接させる必要があるが)名詞としても動詞としても使うことができる語は、ずっと2つの品詞として使われていくか、それともどちらかの品詞に使用が「傾斜」していくか、ということがありそうだ。

『日本国語大辞典』が見出し「せんしょく」の語義(1)にあげているのは『後漢書』で、日本の文献の例があがっていない。それは、あるいは語義(1)として「センショク」を使うことは稀であったことを示唆しているのかもしれない。もしも、ということになるが、もしもそうであれば、筆者の「センショク」は動詞、という「感覚」は的外れなものではないことになるが、どうなのだろうか。語義(2)にあげられている文献も20世紀以降のものばかりで、「センショクスル」という動詞が使われた歴史もさほど長くはなさそうだ。

オンライン版の検索機能を使って、語釈中に「染色の名」と記されている見出しの数を調べてみると、見出し「あいねずみ」を含めて135件がヒットする。つまりある程度この「染色の名」という表現が使われていることになる。この場合の検索は「全文(見出し+本文)」という範囲で行なう。この範囲での検索は「部分一致」しか検索できず「完全一致」が検索できない。何を調べたかったかといえば、語釈が「染色の名」と説明している見出しと「色の名」と説明している見出しとには違いがあるのかどうか、ということだ。見出し「あお(青)」「あか(赤)」は「色の名」と説明されている。そのことからすると、「染色の名」と「色の名」とには違いがありそうだ。

筆者が通っていた県立高校は体育も重視しており、毎年行なわれる体育祭は最大のイベントだった。各学年のクラスには色が決められていて、同じ色の3学年が協力して、「仮装」と呼ばれている出し物をする。バックボードと呼ばれていた大きな「看板?」も作る。応援には各色に染めたワイシャツを着る。「仮装」の役割はバックボード、大道具、小道具などに分かれていたが、その中に「染色」があった。大きな釜に湯をわかし、そこに染料を入れてワイシャツを「煮る」。「センショク(染色)」が動詞だという「感覚」はこの時に植え付けられたのかもしれない。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。