あいだい【欸乃・靄迺】〔名〕(1)舟の艫(ろ)のきしる音。また、船に棹(さお)さす時に掛ける声。転じて、船人のうたう歌。船頭歌。船歌。棹歌。あいない。→おうあい。*了幻集〔1392頃〕春江「帰去来兮波浪嶮。数声欸乃白鴎前」*柳湾漁唱-一集〔1821〕記夢寄致遠「靄迺楼東市橋暁、湖舟陸続送㆑菱来」*嵐〔1906〕〈寺田寅彦〉「夕日にかがやく白帆と共に、強い生生とした眺である。之れは美しいが、夜の欸乃は侘(わび)しい」*柳宗元-漁翁詩「煙銷日出不㆑見㆑人、欸乃一声山水緑」(2)木こりのうたう歌。*頤菴居士集「欸乃認㆓帰樵㆒」
語義(2)は転義と思われるので、ここでは話題にしない。見出し「あいだい」の語釈末尾の「あいない」「おうあい」も見出しになっているので、それらもあげておく。
あいない【欸乃】〔名〕「あいだい(欸乃)」に同じ。
おうあい【欸乃】〔名〕舟をこぐときにかける掛け声。転じて、舟人のうたう歌。あいだい。*文明本節用集〔室町中〕「★乃 アウアイ 襖靄」(編集部注:★は、偏の上が止で下が矢、旁が欠)*延宝八年合類節用集〔1680〕八「款乃 アウアイ 棹㆑船相応声 字彙」
それにしても、見出し「あいだい」に示されている語義「舟の艪(ろ)のきしる音」「船に棹(さお)さす時に掛ける声」「船歌」はみなかかわりがあるといえばあるが、少しずつ異なることであるといえば、異なる。
「欸乃」の上字「欸」を『大漢和辞典』で調べてみると、「イ」「アイ」「カイ」「ケ」という音をもっていることがわかる。字義は[一][二][三]「㊀しかる。そしる」「㊁なげく」「㊂うらむ声」「㊃しかり。肯定の辞」「㊄相応ずる声」「㊅ああ。しからず。否定の辞」[四]「しかる」[五]「いかる」と説明されている。(編集部注:『大漢和辞典』では本来 [一]~[五] は白地の□に漢数字、㊀~㊅は黒字の●に白抜きの漢数字)『大漢和辞典』では「オウ」という音が認められていない。さて下字「乃」を同様に調べてみると、「ダイ」「ナイ」「アイ」という3つの音をもっていることがわかる。したがって「欸乃」の下字は「ダイ」「ナイ」「アイ」と発音される可能性があったことになるが、それがすべて、いわば「出揃っている」。上字を「オウ」と発音することが『大漢和辞典』では確認できない。
今回この見出しを採りあげようと思ったのは、〈舟の艪のきしる音〉という語義をもつ語がある、というごくごく素朴な気持ちがまずあった。〈舟の艪のきしる音〉が『大漢和辞典』が掲げる字義「うらむ声」のように聞こえるということだろうか。〈舟の艪のきしる音〉が原義で、オノマトペであるのだろうか。もしもオノマトペであるならば、〈舟の艪のきしる音〉が「あい・だい」あるいは「あい・ない」と聞こえるということになる。〈きしる音〉というと、カミキリムシがだすような「キイキイ」とでも文字化しそうな音を真っ先に思うが、舟の艪だからもう少しゆったりとした「アイ・ダイ」「アイ・ナイ」なのだろうか、などいろいろと思い巡らす。「アイダイ(欸乃)」がオノマトペのように感じられてきたりもする。
さて、『日本国語大辞典』が語釈において「きしる音」と説明している見出しは上の「あいだい」を含めて5見出しである。
あつあつ【軋軋】〔形動タリ〕車や艪(ろ)などがきしる音。
きい〔副〕(多く「と」を伴って用いる)(1)堅い物がすれ合って立てる甲(かん)高い音。きしる音、また、きしるような声を表わす語。(2)強く締めたり、ひねったりするさまを表わす語。
きゅう〔副〕(「と」を伴って用いることもある)(1)強くこすったり、おしつけたり、ねじまわしたりした時などにきしる音。また、強くおしつけられて苦しんで出す声などを表わす語。(2)力をこめて動作するさまを表わす。強く。きゅっと。(3)酒などを一息に飲むさまにいう。
じゃりじゃり【一】〔副〕(「と」を伴って用いることもある)小石、砂などが触れ合ってきしる音や砂などを噛んだりした時の音などを表わす語。また、手ざわりのざらざらした感じにもいう。【二】〔形動〕物の上に散った砂などに触れたときの感じを表わす語。
見出し「きしる」はいわば「本家本元」で、オノマトペ「キシ」に「ル」が下接して動詞になった語であろう。同様に「ム」が下接して動詞になった語が「キシム」であろう。
きしる【軋・輾】【一】〔自ラ五(四)〕堅いもの同士が強く触れ合って音が出る。摩擦し合って音が出る。きしむ。【二】〔他ラ四〕(1)堅いものが強く触れ合って音を出す。摩擦して音を出す。また特に、車輪が摩擦で音をたてるほど車を疾走させる。きしませる。(2)物と物とを、すれ合うようにする。音をたててすり合わせる。(3)勢いや数を争うように、触れ合わせる。また、接触して、競い合わせる。(4)ねずみなどが、きしるような音をたてて物をかじる。歯でかじる。
きしむ【軋】〔自ラ五(四)〕物がすれ合う時になめらかにいかないで、きしきし音をたてる。きしめく。
「キシム」「キシル」が「キシ」を含む以上、その「語感」からは離れにくいことが推測される。つまり「キシム/キシル」は「キシキシ」というオノマトペにうらうちされているということだ。
日本語では、艪のきしる音は「ギーギー」とでも表現されそうだ。そうだとすると、日本語ではそのように艪のきしる音を聞くということだ。これを「ききなし」と呼ぶことがある。日本語と中国語とでは、言語が異なるから、同じような音であっても「ききなし」方が異なることがある。もちろん「同じような音」だから「ききなし」が似ることは少なくない。
『大漢和辞典』の「欸乃」には多数の使用例があげられている。つまり、「欸乃」は中国においては、〈艪のきしる音〉などを表現する語として脈々と使われた。しかし、漢詩などを除けば、日本語においては、それほど使われなかったようにみえる。さてしかし、そうなると寺田寅彦はどういう経緯でこの「欸乃」を自身の使用語としたか、そこにさらなる追究課題がありそうだ。