『日本国語大辞典』をよむ

第78回 アイガモのアイ

筆者:
2021年1月24日

あいがも【間鴨・合鴨】〔名〕(1)鳥の名。マガモとアヒルの雑種で、姿や羽の色などマガモと区別しにくい。関東地方の南部などで広く飼育され、食用とするほか、カモ猟のおとりに使われる。あひるがも。なきあひる。ささやきあひる。*語彙〔1871~84〕「あひがも 野鴨と鴨と交(つるみ)て生める子をいふ、又夏月食用にする鴨(あひる)をもいふ」(2)(鴨のない間に代用することから)夏季食用とするアヒル。また、その肉。*落語・お蕎麦の殿様〔1894〕〈禽語楼小さん〉「鴨南蛮も必ず本鴨は用ひません。本鴨を用ひては合はん所から相鴨(アヒガモ)を用ひます。即ち鶩(あひる)」(3)「あいさ(秋沙)」の異名。(略)

上では「語彙〔1871~84〕」が使用例としてあげられている。その語釈には「野鴨と鴨と交(つるみ)て生める子をいふ」とあるので、『日本国語大辞典』の見出し「かも(鴨)」もあげておこう。

かも【鴨・鳧】〔名〕(1)ガンカモ科の鳥のうち、比較的小形の水鳥の総称。全長四〇〜六〇センチメートルぐらいで、一般に雄の羽色の方が美しい。あしは短く、指の間に水かきがあって巧みに泳ぐ。くちばしは扁平で柔らかい皮膚でおおわれ、感覚が鋭敏で、ふちにはくしの歯状の小板が並ぶ。河海、湖沼にすみ、淡水ガモと海ガモとに区別される。前者にはマガモ、カルガモ、後者にはスズガモ、クロガモなどがある。日本には冬季に北地から渡来し、春に北地に帰るものが多く、夏季ふつうに見られるのは、カルガモとオシドリのみである。肉は美味で、カモ汁、カモなべなどにする。マガモの飼育変種にアヒルがあり、アヒル(家鴨)に対し野(生)鴨ともいわれる。《季・冬》(2)よいえもの。うまうまと利益をせしめることができるような相手。勝負ごと、かけごと、あるいは詐欺(さぎ)などで、食いものにするのに都合のよい相手。「かもにする」「かもがねぎをしょってくる」(略) 補注 中国では、「鳧」を野鴨、すなわちカモとし、「鴨」を家鴨、すなわちアヒルとしている。(略)

つまり、『語彙』の語釈にみられる「野鴨」はカモ、「鴨」はアヒルのことで、この語釈はいわば「中国流」に記述されているということだ。そうであれば、『日本国語大辞典』の語釈の記述と「認識」は同じで、カモとアヒルとの雑種が「アイガモ」ということになる。この「アイ」は〈アイダ(間)〉という語義であるとみるのがもっとも自然だ。『広辞苑』第7版は「合鴨・間鴨」の順で漢字列を並べているが、上の判断があっているとすれば、「間鴨」がいわば穏当な漢字のあてかたであることになる。もっとも現在においては、漢字列「合鴨」をよく見かけるように思う。

『朝日新聞』のデータベース『聞蔵Ⅱビジュアル版』を使って、文字列「間鴨」で検索をかけても、上の語義の「アイガモ」はヒットしない。一方、文字列「合鴨」で検索をかけると401件のヒットがある。(編集部注:「401件」というヒット数は原稿執筆当時のもの)「よく見かけるように思う」という筆者の「感覚」は順当なようだ。

カモとアヒルとの間に生まれたものが「アイガモ」であるとすれば、漢字は「間鴨」でよい。というより「間鴨」がよいはずだ。それにもかかわらず、「間鴨」と書かないのは、漢字「間」と〈あいだ〉という語義の「アイ」とが結びつかなくなっているからではないだろうか。わかりやすくいえば、「間鴨」と書いてあるとそれを「アイガモ」と結びつけにくくなっているということだ。

『日本国語大辞典』をよんでいくと、〈あいだ〉という語義の「アイ」を含む語は少なからずあることがわかる。いくつか挙げてみよう。

あいあか【間赤】〔名〕近世、大名の奥女中などが打掛(うちかけ)と下着との間に着た間着で紅色の綾(あや)の小袖(こそで)。礼服で、一〇・一一・一二月に着用した。→間黄(あいぎ)・間白(あいじろ)。

あいがたり【間語】〔名〕能の中で、狂言方がその能に関係する故事などを語ること。間(あい)。

あいがみ【間紙】〔名〕(1)箔(はく)と箔との間にはさむ薄い美濃紙(みのがみ)。(2)皿、小鉢、重箱など食器類を重ねるとき、傷をつけないように間にはさむ紙。(3)印刷物の間にはさんで、インクの汚れを防ぐ紙。あいし。

あいぎ【間着・合着】〔名〕(1)衣服と衣服の間に着る衣服。(イ)中古、打掛姿のときに、打掛の下に着ける重ね着の中でいちばん上の衣服。近世では、奥女中などの打掛と下着との間に着る、「間赤(あいあか)」「間黄(あいぎ)」「間白(あいじろ)」の類。(ロ)近世、一般には、上着とはだ着の間に着る衣服。(略)

あいきょうげん【間狂言】〔名〕(1)能一曲を演ずる場合、狂言方が受け持つ部分。前シテの中入りの間に、狂言師が主題について説明する「語間(かたりあい=しゃべり間)」と、一曲の中で劇を構成する人物として一つの軽い役を受け持つ「あしらい間(あい)」とに大別される。あいのきょうげん。あい。(2)人形浄瑠璃、歌舞伎などで、一つの演目中または二つの演目の中間に演ぜられる狂言、または喜劇的な寸劇。

「間」という漢字は小学校2年生で学習する。当然「常用漢字表」にも載せられている。「常用漢字表」は「間」の音として「カン・ケン」、訓として「あいだ・ま」を認めている。つまり「あい」は訓として認められていない。ある漢字と結びつきをもっている和語が和訓といってよい。漢字字義は対応している和訓を媒介にして理解することが多いはずだ。和語「アイ」の語義は〈あいだ〉で、「あいだ」という和訓が認められているのだから、漢字列「間紙」をみた時に〈あいだに入れる紙〉だろうなと類推することはできるだろう。しかし、「アイダガミ」という語を想起してしまうだろう。

いつのことか記憶がないが、学部の学生の頃だろうか。書誌学の講義で「アイシ」という用語を耳にした。それが「間紙」という漢字で書かれるということがその場では思い浮かばなかった。「アイシ」は和語+漢語の複合した語であるために、いっそうそうだったと思う。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。