この連載も、早いもので丸2年、合計で50回目を迎えた。何とか続けてこられたのは、中身にかかわる情報や温かな感想を寄せて下さる読者の方々や、ほぼ隔週で、しかも書きたいように書くことを許して下さる担当の方のお陰かもしれない。
さて、後期が始まり、学生たちの肉筆に再び直面する。
とくに新規登録の受講者たちは、いろいろなことばで挨拶を書いてきてくれるものだが、そこにしばしば付け加えられるのが「よろしくお願いします」というたぐいの常套句的な文言である。そこでは、「よろしく」という部分に漢字を交えた場合、ほとんどの人たちが「宣しく」と手書きしてくるのである。ここのところ少なくとも10人ほぼ連続してそうなっている。
「宣」は音読みが「セン」、「宜」は音読みが「ギ」であり、両者は字体がたまたま似ているが別々の漢字である。常用漢字表では、それらの2字に対し、いずれにも訓読みを与えていない。つまり、「宣」の「のべる」はもちろん、「宜」の「よろ-しい・よろ-しく」も、表外訓なのである。そのため、学校の国語の授業で教わることも通常はなかろう。今回の常用漢字表の改定でも検討は経たものの追加される方向にはない。ただ、現実にはあちこちで使われてもいるために、学生たちも目で何となく文字列を把握し、既知のなじんだ文字で記憶しているのであろう。2つの字が混淆したような各種の字形も、なぜかとくに男子に散見される。「ギ」と読ませる場合でも「宣」と書いてしまうケースもある。
ここまでは、手書きで生み出される「宣しく」について述べてきた。「漢字の現在」をあえて(?)斜めに見ているような連載であるが、現代の、いわば現在進行形の現象として、電子情報機器での状況に触れておきたい。
”宣しく” をgoogleで検索してみた結果、約65,100件がヒットした(2009.10.15現在)。この表記へのメタレベルな指摘や言及も含まれてはいるが、文章中に普通に使用しているページが次々と出てくる。なお、ちょうど半年前に検索した時には(4.15)、約7,830件と表示されていたのだが、これは何らかの原因で実際の使用が激増したということではなく、何かの事情で数値にこういう変化が現れたまでではなかろうか。
パソコン上の画面においては、小さなフォントでは互いに区別がしにくいこともあろう。入力された「宜」を見て、「宣」だと誤解したり、それによってさらに自己の理解字としたりするといった循環も起こっていることが想像される。
「よろしく」という入力を経て、そこから仮名漢字変換をした結果だとすれば、変換辞書ソフトに何らかの不都合やミス(バグ)が生じているのであろう。あるいは、「よろしく」には現実に「宣しく」と書くことも多いから、と変換候補に潜り込ませているものも出てきかねない状況はあるのだが、今のところ、この語に関してはそうではないのだろう。あるいは、手書きパッドのたぐいで入力されたページもあるのではなかろうか。OCRを介しての誤入力も個々の事情から含まれている可能
性もある。とある電子辞書版の和仏辞典では「宣しい」と出る、と学生が見せてくれた(一方、「よろしく」は「宜しく」)。OCRで紙面を読みこんだ誤入力が残っているのだろうか。また、「よろしく」と打って、変換してみて、「何で私のパソコンでは「宜しく」なんていうおかしなのしか出なくて、「宣しく」とちゃんと変換してくれないのだろう」と、かつての「ふいんき←漢字が出ない」と同様に疑問を持つ者も、種々の類例からみて、なくはなさそうだ。
パソコンに限らず、携帯電話であっても、手書きでは書けなかった漢字が入力されることがある。10年ほど前になるが、手書きでやはり「宣しく」と間違って書いていた人が、メールでは「宜しく」と送信していた。これは、「よろしく」で入力した結果だという。また、別の人は、メールに、「宜しく」ではなく「宣しく」と打ってきた。これについて尋ねてみたら、「字数の制限があり、かつ「よろしく」では変換されないので、「宣」を「せん」で入力した」とのことだった。そして、「「宣」は中学で同級生の名前にあったので、印象深いが、「宜」はめったに使わない」とのことであった。これは、単漢字しか変換できない当時の機種では起こりやすかった誤入力である。実際に、携帯電話のメール機能では、かつてはそういうレベルの機械が市場に出回っていた。
こういう実例から、「せんでん」でわざわざ「宣伝」と出してから「伝」を消すなんて人もいるのではないか、もしかしたら、「よろしく」で出てくる「宜しく」をわざわざ直す人や、「宣しく」と単語登録している人までいるのではなかろうか、とも思えてくる。
「宜しく」という表記を目にして、しっかりと習うことがないために、「大人の書き方」というふうに感じて、うろ覚えのまま、よく使う「宣」かなと記憶に残り、ついに自分の手書きで使ってしまう。そういう習得から使用に及ぶケースが多いのではないか。
仮名漢字変換の出現と急速な普及によって、同音語の誤入力は増えた一方で、この類の誤字は一般に消え去ったとの言説もあるが、人の実際の書記行動は、個人の経験やイメージだけで一括することは困難である。
現代の日本人でも、平仮名書きよりも漢字で書かれたもののほうが、正式な感じがする、という意識が色々なところで残っているように思える。手書きでは、複雑な漢字で記した方が丁寧に感じられる、という意識も介在する。「よろしく」と「宣言する」、というような俗解が、その背景には重なっている可能性もある。
かつての活版印刷でも、著者などの原稿の手書きの筆跡が編集者、校正者、文選工、植字工などの手を経て、目をかいくぐり、そのまま活字となって「宣しく」となる誤植はあった。また、JISの調査のために、『国土行政地名総覧』を通覧していたときには、、「萱」(かや 草冠に宣)という字が「萓」(草冠に宜)と活字で印刷されている小地名にたびたび遭遇した。後者はその存在によってJIS第2水準に採用されていたのだった。以前より、「宣」「宜」の両字は混同されることがあった。手書きと活字と電子機器とで、現れる現象は同一であっても、その原因、さらに産出のプロセスに変化が生じていると考えられる。
こうした類形異字同士のいわば通用は、歴史上しばしば見られたが(「已」「己」「巳」など。第26回参照)、同音異字の間に発生する通用とは異なり、なかなか公認されるまでには至らないものである。