漢字の現在

第26回 已(や)むを得ず

筆者:
2008年12月5日

人の世では、自分の考えを、己の意志に反して曲げざるを得ない場面がある。また、考えを曲げることが忍びなく、それを取り下げないとしかたのない局面もある。そうした本心に背かざるをえない状況において、私たちは「やむをえず」という表現を用いる。

それを平仮名で「やむおえず」と書く人は、「やむ」と「おえず」から成る語だ、と異分析をした結果かもしれない。また、「ヤモーエズ」というように発音する人があるため、「やもおえず」「やもうえず」などと記す人もいる。

しかし、これは漢字を交えると「已むを得ず」となる決まり文句である。「止むを得ず」という表記を認める辞書もある。そのように書かれるケースは明治初期にも見られ、今でも続々と現れている。このうち、現代における「止むを得ず」という表記の使用は、「已」という字種が常用漢字として認められていないこととも関連するのであろう。それにもかかわらず、学校の古典文法に出てくる「已然形」(いぜんけい)は、既にそうなっている、やめている、終えている、といった意味から付けられた名称であり、「未然形」と逆の意味である。

已

この字の形は、別の字である「己」(キ・コ)や「巳」(シ・ジ)と似ているために、中国で楷書が成立して以来、しばしば混同されてきた。今でも、日本の人名や社名などで、「アレ?」と思う例がよく見られるであろう。それらを区別して覚えるために、「みは上に、おのれ・つちのと下に付き、すでに・やむ・のみ中程に付く」などという歌が作られ、漢和辞典の『大字典』に載せられるほど、人口に膾炙した。「已已巳己」と並べて「いえしき」などと読ませる姓もあったとの「伝説」もある。

これらのよく似た3字は、字源からは互いに他人の空似とされるが、「巳」を転倒させたのが「已」だとする説もあった。農具の「すき」の象形文字だと近年の字源研究家が珍しく一致して説く「已」は、とりわけ不安定な字体であって、

「台」(元はダイ(臺)ではなく、タイ・イ)の「厶」

「耜」(シ 農具のすき)の旁の部分

へと、字体が派生していった。実は「以」(イ)から「人」を除いた「レ丶」という部分も、この「已」から変化して生じたものであった。

先の「止むを得ず」という語句のは、元は漢文から出たものである。故事成語といわれるものではないので、ほとんど目立たないが、「不得已」という表現が先秦時代から存在し、『孟子』や『老子』などで使われている。それをお経の如くに音読みすれば、「フトクイ」となる。実際に、この種の語句が「不得要領」(要領を得ず)のように音読みで日本語の中に定着するケースもあったが、「不得已」の場合は、「レ点」を2つ加えた、この漢文訓読による読み方だけが定着した。古文書で用いられ、明治時代に一般化が進んだようだ。

中国語では、古典的な漢籍以来、今日でも「不得已」はよく用いられており、普通話では「ブー・ダー・イー」というような発音である。

ベトナム語でも、実は「やむをえず」という意味で、「バト・ダク・ジー」という語句がある。それはまさに中国の「不得已」という漢語をベトナム漢字音で読んだ漢越語である。特に堅苦しい表現ではないそうで、日常の会話でもよく出てくる。

中国より南で用いられるベトナム語は、中国語とは起源を異にし、系統の全く別の言語であるが、基層となるそれぞれの言語がともに単音節語であり、かつ互いに孤立語的で、文法構造にも類似性があるため、地政学的、また社会的な条件を除いても、こうした漢語の表現を受け容れやすかったのであろう。

それでは、中国の東北に位置する朝鮮半島ではどうであろう。「やむをえず」という意味で、「ブ・ドゥ・ギ」という語句が存在している。「hada」(ハダ)を付して形容詞化させることもある。これがやはりなんと「不得已」であり、その朝鮮漢字音による語である。中国から流れ込んだものであり、ちょっと堅苦しい言い回しだそうだが、一般的に話し言葉で使い、特にビジネスではよく使うとのことだ。

朝鮮語(韓国語)もまた、中国語とは、全く系統の異なる言語であるが、大量の漢語(漢字語)を中国から受け容れた。先のベトナムと類似する条件に加え、漢語と固有語とで音節の類似性が(漢語と日本の固有語との間よりも)高いこともあって、こうした古典漢語の移入が、まま見られる。

漢字を失いつつあるベトナムと韓国で、こうした古典的な三字漢語が残っているのに対し、多くの漢字を日常に残す日本語ではこの3字を音読みすることはまずない。「不得已」を「フトクイ」と日本漢字音で読めば、今では「不得意」の語と衝突してしまい、耳で聞いても意味がとらえられまい。

中国の周辺においては、漢字を廃止し、また廃止へ動く国々では字音語が表音文字によって残り、漢字を限定しながらも使い続ける日本では字音語ではなく、固有語の訓読みによるフレーズとなって存在し続ける。

「やむをえない」心境は、どこに暮らせど、避けがたく訪れ続けるものなのだろう。そこにも漢字圏周辺部での漢字の受容の様相の差が現れており、「やむ(已む)を得ず」は、漢文訓読を固定化させ、漢字を善くも悪しくも血肉化させた日本語ならではの表現法なのであった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。