新潟の方はとても熱心で、年に3度もあちこちにお話をしにうかがったこともあり、また毎年のようにお会いするようになっている方々もおいでだ。今回も、新潟市内で、楽しい会と講演会にお呼びくださった。
私は、日本海側の血が濃いせいか、風土も人柄もなにやら懐かしく、また近しいものを感じる。山紫水明なところ、人も麗しく、山海の食べ物にも恵まれている。一杯一杯復(また)一杯、と進むこともある。
市内に流れる信濃川には、大きな「万代橋」が架かっている。翌日は迫力のある花火大会だとか、後ろ髪を引かれる。地元での呼称はバンダイバシだが、何かに指定されたときに、マンダイバシとも読まれることが生じたそうだ。大阪には、後者のように呉音で読む橋もあり、「よろずよばし」と和語で読ませる橋も各地にある。
女子高生や中年の方などが「万市」(バンシ)と、万代市民会館の略称を用いるそうだ。省略は若者に多いと言われることがあるが、「ばんつま」(阪東妻三郎)、「MMK」(もててもてて困る)など、以前からなくはない。「キムタク」(木村拓哉)、「KY」(空気読めないなど)のようにある集団で必要とされ、愛着を感じるものも、おおむね4拍以下に略される。地元の人ならば使いやすいし、指す対象が分かるのだ。知らない人は知らないままで、必要とする人は略して伝える。それに抵抗のない人たちの間で広がる。「朝鮮民主主義人民共和国」もニュースでは略されるし、「国連安保理」なんて略語も常に元に戻す必要はなかろう。
ここでは、この橋の名は正式には「万」ではなく「萬」という字体なのだそうで、あちこちでこの旧字体を目にした。「何でこんなに形が違うのか」と首をかしげる地元の方がいた。もともと、中国で、ボクなどと読む「万」という字が姓にあった。浮き草の象形文字という説もある。それが、「萬」(もとはサソリの象形文字とされる)と同じマンという発音と千の10倍という数字の意味を持った原因は、仏典に現れた「卍」という吉祥文様に起因するとされる。これは四方の旋回を逆にすることもあり、その元となった形はビシュヌ神やお釈迦様の胸毛とも言われている。則天武后のころに、「卍」を大数としての「萬」の音義としたため、日本ではそれを万字(マンジ)と呼ぶのである。
新潟県新潟市、ここでは「潟」をよく使う。「潟」は楷書体で複雑な形をしているが、篆書の字形まで遡ると、字源に沿った字体というわけではなかった。
1981年に、固有名詞としての使用頻度が高いこの字が、なぜか常用漢字表に追加された。確かに「干潟」など普通名詞としても全く使わないというわけではない。戦後間もない時期に、当用漢字表にこの字を入れるということが仮にあったならば、「鷄」に「鶏」という略字が街中で見つかって採用されたという話のように、「」という字体も新字体として採用された可能性もあろう(写真参照)。
その常用漢字表への採用によって、数年後にはこの字が国語教育の対象となった。マスメディアもそれに従う。そして、個々人でも、手書きから電子機器による入力・出力、送受信をするという時代を迎えた。そうしたことが複合して、「潟」という字体による「潟」の共通字化が進展していった。