職曹司での長期滞在は、内裏ではなく大内裏にとどまっていた中宮定子の当時の微妙な政治的立場を示していますが、職曹司時代の章段には、清少納言をはじめ定子後宮の女房たちが生き生きと描かれる印象的な話がたくさんあります。その中から、まず、「5月の御精進のほど」で始まる段を紹介しましょう。
『枕草子』には、5月の描写が多く見えるので、5月は清少納言が好んだ時節だったと考えられています。現代では初夏のさわやかな頃ですが、旧暦の5月は、現在の6月半ばから7月の緑深まる盛夏であり、同時に梅雨の季節にもあたります。天候不順で体調を崩しやすい時期なので、正月、9月とともに精進期間が設けられていました。
そんな5月の初め頃、清少納言がホトトギスの声を尋ねに行こうと言い出します。ホトトギスは夏を告げる鳥として、古来和歌に詠まれてきました。清少納言はこの鳥が大好きで、「鳥は」の段で、ホトトギスの素晴らしさを力説しています。
清少納言の提案に、退屈していた女房たちは乗り気になって目的地をあれこれ考えます。誰かが賀茂神社の奥あたりにホトトギスが鳴いていると言うので、そこに行こうということになり、5月5日の朝、車を調達して清少納言たち女房4人が乗り込みました。当時の牛車は4人乗りなので、乗りそびれた女房たちはもう一台、車を要求しますが、それは定子に制止されてしまいます。
さて、清少納言たちの車は大内裏の北の門から一条大路に出て、左近の馬場で端午の節句に行われる手番(てつがい=騎乗して弓を射る競技の演習)に行き当たり、それを見過ごして進みます。ちょうど1カ月前に葵祭り見物に出かけた道筋だったので、祭りの時の賑わいが思い出されます。
到着した所は高階明順(たかしなのあきのぶ)の家でした。明順は定子の母方のおじにあたります。そこは京郊外の別荘で、建物の造りや調度類をわざと田舎風の趣向に揃えてあります。折しもお目当てのホトトギスが五月蝿いくらいに鳴き合っています。
明順は、中宮方から来た訪問客のために余興を用意してくれます。それは、近所の農家の若い男女を招集して行った稲こきの農作業でした。石臼の作業は、清少納言たち女房にとって、「見も知らぬくるべく物(見知らぬくるくる回る物)」であり、「めづらしくて笑ふ」見物でした。貴族女性は普段の生活で庶民の労働を目にする機会がなかったことが分かります。さらに明順は、みずから摘み取った蕨を供応するなど、田舎風の食事を演出し、清少納言たちをもてなしてくれました。
そのうち雨が降ってきたので、女房たちは急いで車に乗りますが、その時、清少納言が、「さてこの歌は、ここにてこそよまめ(ところで、ホトトギスの歌は、この場所でこそ詠みましょう)」と言っています。つまり、ホトトギス探索に出たからには、当然ホトトギスの和歌を詠んで持ち帰るというのが、定子後宮の暗黙の了解事で、それが代表メンバー4人の使命だったのです。
この時、同行の女房が、「ままよ、帰り道の途中ででも詠んだらいいでしょう」と言ったので、そのまま車に乗り込んでしまうのですが、その後、次々と詠歌の機会を逸すことになり、ある事件に発展していきます。