山口に来ると、そこには中原中也のような目元をもった人があちこちにいた。その地では、フグが敷き詰められた贅沢なお皿が目の前に来た。やはりフグはこの辺りや北九州の店では、フクと言ってフグとは濁らない。「福」にかけた、あるいは調理法から「布久」となったという説もある。フグには漢字で1字だけ書くとそれらしい「鰒」「(魚+福の右)」「(魚+冨)」などの国訓や国字があるのだが、表意性もあり、表語文字でもあるために、その差は消えてしまいかねない。
「ブタ」(豚)は、アクセントの高い位置が東京と逆になる。それでブタへの親しみを込めていると語る出身者がいた。この豚を使った「豚汁」を、「とんじる」と読む人は東日本に多く、「ぶたじる」と読む人は西日本に多い。
岡山から、今や地続きとなっている高松へ向けて電車に乗ってみる。讃岐に入った。看板の「毛染」は、東京でも見ないことはないか。「エビ」、「えび天」とうどんとともに書かれている。セルフの讃岐うどんでもコシが堪能でき、「うどん県」という称も納得できてしまう。「讃美」という日本酒は、この地らしい銘柄だ。
そうめんがおいしい小豆島は今は「しょうどしま」である。「二十四の瞳」でも有名ながら、「あずきじ(し)ま」と読んでしまう遠く離れた地の人がいるが、期せずして生じた先祖返りといえる。「銅鐸・木鐸」の「鐸」を使った「大鐸」(おおぬで)という地名は、フェリー乗り場では「大鈬」と略して書かれたのを見かけた。温暖な気候に合わせて特産となったオリーブを祀った「峰悧冨( オリーブ)神社」というものも新しく造営されていた。
徳島のことばは、大阪弁によく似ているように感じた。そう指摘してみたら同年代の女性の方に、素直にとても喜んでもらえたのが意外だった。ここでは古代に粟(あわ・あは)が多く採れたために「阿波国」になったと伝えられる。蜂須賀家政が猪山(いのやま)城を「渭山」に変えてから、この「渭」が街中でよく使われている。「開」「畭」で「はり(ばり)」と読ませる地名もこの県らしい。美郷村がまだ村としてあったときに、「(樫臣はリ)」という「樫」の略字が地名に使われていることを確かめた。清流に蛍の幻想的なところだった。
徳島には「とせい」と読ませる「(山×投)(山×都)」という地もある。ここは、2字目が謎であったが、小地名に真摯に向かわれている方が古くは「(山省おおざと)」だったと資料とともに教えてくれた。難字で音読みをさせようとして字書や漢籍から字を探してきた人がいたのであろう。地名にするために造語自体をそれで行う。あるいは語に対する当て字もそうやってしてしまう。いずれにせよ、そうしたペダンティックにも見える意趣のある地名は、ほかにもこの近辺にあるほか、岩国市でも「峇清」(ごうせい)、茨城でも「嶐郷」(りゅうごう)など、各地に見られる。地名らしい漢字を見つけたり造ったりしてきたのだ。伊豆の下田にもそうしたものが集中する地があったので、行ってみたことがあったが、すでに郷土の歴史に詳しい方にも由来は不明となってしまっていた。
愛媛を「愛姫」などと書き誤る人がいる。ナンバープレートでは水が溜まって錆びてしまわないように、とその字体を個性の強いものに変えていたことがあった(『現代日本の異体字』に写真を載せた)。地名は正式には、「愛(媛旧字体)」であったようなのだが、人名用漢字で新字体となり、さらに常用漢字表にその新字体のままに追加されたため、これに自然と変わっていくことだろう。ついでに、同表でエンという字音も、「才媛」のために認められた。