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曲のエピソード
この曲がヒットしていた1970年、アメリカ中がヴェトナム戦争への介入を疑問視し始めていた。日に日に高まる反戦の機運。そんな中、「意気消沈する友だち」への励ましソングとも言うべきこの曲が大ヒットした(ちなみに、全米チャートでは6週間、全英チャートでは3週間にわたってNo.1の座を死守)。翌1971年のグラミー賞では、5部門を制覇するという快挙を達成。サイモン&ガーファンクル名義になってはいるものの、ポール・サイモン作のこの曲はアート・ガーファンクルによる独唱。皮肉なことに、この曲が大ヒットしていた頃、双方の間では音楽的方向性の差異が生じ、長年コンビを組んできたパートナーシップに亀裂が入ろうとしていた。ポールは後々まで自らこの曲を歌わなかったことを心の底から後悔したそうだが、たとえガーファンクルの独唱ではあっても、彼らの代表曲であることには変わりがない。昔ながらの邦題「明日に架ける橋」は今でも使われている。
唐突に歌詞の後半に登場する“Silver girl”とは何ぞや、という論争が、ヒットしていた当時から多くの人々の間で繰り広げられてきた。その言葉が登場するフレーズはじつに私的な背景を背負っており、歌詞を綴っている最中にポールの彼女(後の妻ペギー・ハーパー)がたまたま白髪を見つけて大騒ぎしたことからヒントを得た彼が、戯れに思いついた言葉だという。“silver”には他動詞として「~を銀髪(=白髪)に染める」という意味もある。
なお、作詞作曲をしたポールは、後年、この曲の着想をいわゆる黒人霊歌の「Mary Don’t You Weep」(もしくは「O Mary Don’t You Weep」)から得たと語っている。“Mary”は、もちろん聖母マリアのこと。
曲の要旨
身も心も擦り切れるほど疲弊してしまい、誰ひとり救いの手を差し伸べる人もいない。今、君がそういう状態にあるのなら、この僕が身を挺して君を救ってあげる。流れの早い濁流に架かる橋のように、君の支えになってあげたい。その濁流を君の苦しみや悲しみにたとえるなら、僕は君がそこを安全に渡れるような架け橋になってあげよう。溢れる君の涙を拭い、君の立場になって物事を考え、君の心のつっかえ棒になってあげる。僕は君の味方なのだから。
1970年の主な出来事
アメリカ: | オハイオ州で反戦デモに参加していた大学生4名が射殺される。 |
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ヴェトナム戦争への反戦を唱える大規模な集会がワシントンD.C.で行われる。 | |
日本: | 赤軍派によるよど号のハイジャック事件。 |
世界: | ビートルズが正式に解散。 |
1970年の主なヒット曲
Venus/ショッキング・ブルー
Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)/スライ&ファミリー・ストーン
Let It Be/ビートルズ
ABC/ジャクソン・ファイヴ
(They Long To Be) Close To You/カーペンターズ
Bridge Over Troubled Waterのキーワード&フレーズ
(a) feel small
(b) be on one’s side
(c) troubled water
(d) lay someone down
(e) take one’s part
1970年の主なヒット曲には挙げなかったが、同年、辛辣な反戦ソング「War(邦題:黒い戦争)」も全米チャートでNo.1を記録している。歌っていたのは激しいシャウトで人気を博したR&Bシンガーのエドウィン・スター(Edwin Starr/1942-2003)。「戦争をして何かいいことがあるのか? 何ひとつないじゃないか!」と、怒りを顕にする曲である。ヴェトナム戦争が激化した1970年前後には、両極端な反戦ソングがチャートをにぎわした。同曲のように、あからさまに「戦争=悪」を標榜するもの、今ひとつは、この「Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)」やマーヴィン・ゲイの「What’s Going On」(1971/全米No.2)のように、”war”も”Vietnam”も全く歌詞に登場していないものの、その犠牲者――戦地に送られる兵士たち、彼らの親族、フラッシュバックに悩まされる帰還兵…――を慮る内容や、救いの手を差し伸べる頼もしいメッセージを持つものである。
翌1971年には、人気R&Bシンガーのアレサ・フランクリンによるカヴァー・ヴァージョンも大ヒットし、R&BチャートNo.1、全米No.6を記録。そのことからも、この曲に込められたメッセージがいかに多くの人々の心を捉えたかが判ろうというもの。
英語に精通している人なら、タイトルを見て「おや?」と思うはず。本来、タイトルにもある(c)は“troubled waters(注:waterが複数形)”であるべきだから。“troubled waters”は「波立つ水、濁水」の意味の他に、「混乱、どさくさ」という比喩的意味もあり、次のようなイディオムまで存在する。この場合の“fish”は自動詞。
fish in troubled waters(混乱に乗じて利益を得る、危ない橋を渡る)
また、“brigde”に着目すれば、同単語が他動詞である場合、次のような言い回しがある。
bridge over many difficulties(多くの困難を乗り越える)
その“difficulties”を“waters”に書き換えてもいいわけだ。
では、何故にこの曲では“water”が冠詞なしの単数形なのか? じつはそこには、作者のポールが影響を受けたというあるフレーズが隠されている。
曲のエピソードで触れた「Mary Don’t You Weep」に、次のようなフレーズを加えて歌ったゴスペル・シンガーがいたのだ。
♪I’ll be your bridge over deep water if you trust in me…
このフレーズを訳すと、「あなたが私を信頼してくれるのなら、私はあなたが困難に直面した時の支えになってあげましょう」となる。♪… if you trust in me… の歌詞こそないものの、「Bridge Over Troubled Water」のコーラス部分とそっくりではないか! “deep”には「難解な、解決しそうにもないほど深刻な」という意味もあるから、恐らくポールは“deep”を“troubled”に書き換えたのだろう。もちろん、“troubled waters”も頭にあったはずである。が、“deep water”が強く印象に残ったため、あえてそこを複数形ではなく単数形にしたのでは、と推測してみた。
話は前後するが、(a)は非常に日本語になりにくい。直訳すれば「(自分のことを)小さく感じる時」。ちょっと想像力を働かせれば、「自分が他人より小さく見える時」となる。が、“feel small”には「意気消沈する、へこたれる(今風に言うとヘコむ、心が折れる)、羞恥心を感じる」という意味がある(辞書の“small”の項目にあります)。“feel”も“small”も簡単な単語だからといって、見過ごすことなかれ。“feel small”という言い回しの意味で肝心なのは、「羞恥心を感じる」こと。意訳するなら、「自分は何て取るに足らない人間なんだろうと思うと、消え入りそうになる」と言ってるわけだ。そしてこの曲は、そんな風に自虐的になっている人に向かって「僕がついているよ」とエールを送っているのである。もちろん、その相手は不特定多数の人々。“you”は目の前にいる相手を指す他、不特定代名詞的に用いられることもあるから。辞書にもその説明が載っているが、もっと詳しく知りたい方には、THE MAKING OF ENGLISH(H. Bradley, S. Porter共著の p. 228/訳本『英語発達小史』寺澤芳雄訳, 岩波文庫のp. 297)を一読することをお薦めしたい。どういった場合に”you”が「不特定多数の人々」として使われるか、詳しい説明が載っている。
筆者が(b)の言い回しを「なるほど、こういう時に言うんだな」ということに思い至ったのは、シドニー・ポワティエ(Sidney Poitier/1927-)主演の映画『IN THE HEAT OF THE NIGHT(邦題:夜の大捜査線)』(1967)のセリフを耳にした時のこと。ポワティエ演ずる敏腕刑事が、殺人の容疑者となってしまった白人男性に向かって“I’m on your side.”(僕は君の味方だよ)と言うシーンだ。同映画が初めて字幕スーパーでTV放映された時のことだと記憶している。もしかしたら大学時代だったかも知れない。それまでは、恐らく学校の授業で(b)の成句を学んだと思うが、実際のところ、どういった場面で言うのかが判然としなかった。この曲でもそうだが、主に相手が窮地に立たされている時に口にすると効果的な言葉になる。そこに言葉を補足して意訳するなら、「たとえ君が四面楚歌になっても、僕は君を見捨てない」となるだろうか。
高校時代、“lay”と“lie”の区別がなかなかつかなくて困った経験がある。今でも大切に保管し、実際に使ってもいる高校時代の文法の教科書『HIGHROAD TO ENGLISH GRAMMAR Third Edition』(1979年初版発行/三省堂)の表紙裏にある「不規則動詞区分表(1)」には、筆者の筆跡で“lie 横たわる/lay 横たえる”の鉛筆書きが残る。“lie”は、ご存じの通り自動詞で「嘘をつく」の意味の他にやはり自動詞で「横たわる、横になる」という意味があり、“lay”は他動詞で「~を置く、横たえる」という意味。今ひとつその区別がつかなかった時、子供の頃にFEN(現AFN)からよく流れていたこの曲の(d)のフレーズが頭の中にひらめき、瞬時にしてそれら似た者同士(?)の動詞の区別がハッキリとついた。(d)は「~を横たえる」、すなわち「横になる、寝る姿勢になる」のだと。瞬間、アクロバティックな姿勢のいわゆる「ブリッジ」の形が頭の中に浮かび、「なるほどー!」と思ったものだ。が、この曲の“bridge”は比喩なので、主人公の男性が実際に川の濁流に難儀する友人の前で「僕が(ブリッジの姿勢をとって)橋になるから、君は僕の身体の上を渡ればいい」と言っているわけではない。飽くまでも比喩、ですから。
(e)は(b)とほぼ同じ意味を持つイディオム。「~の肩を持つ、~に加担する、~を支持する」(辞書の“part”の項目に載っています)。タイトルそのものもそうだし、(b)や(e)のイディオムからも判るように、この曲の主人公は無条件に相手を助けることを申し出ているのだ。この曲のメッセージを凝縮するなら、「見返りを求めない献身的な救いの精神」であろう。そして1970年代当時、とりわけヴェトナム戦争以降の社会の不穏な空気に漠然とした不安を感じずにはいられなかった人々の心に、曲のメッセージは深く沁み入ったのである。あれから40年以上も月日は流れたけど、大震災を経験した多くの日本人も含めて、今も世界のあちこちでこの曲に励まされる人々がいるはずだ。