食卓ではおいしいとしか言いようがないのに,現在進行形の食卓の場から隔たって,過去形の味覚表現になると豊かになれる。そういうことをここ3回で確認しました。しかし,だからと言って,味覚体験の場から離れさえすれば簡単に味を表現できる,というわけではありません。身体の感覚は,やはりことばにしづらいのです。だから,表現のための工夫や戦略(レトリック)が必要になります。
では,おいしい表現にはどのようなレトリックが見られるのでしょうか。以降3回に渡り,味覚経験の食前・食中・食後のそれぞれの局面に注目している例をもとに,味覚表現のレトリックについて考えてみます。今回は食中編です。
以下の例は,ジョアン・ハリスの小説『ショコラ』から採りました。2000年にジュリエット・ビノッシュ主演で映画化もされましたので,ご存知の方も多いかと思います。
カトリックの司祭である語り手(映画と設定が異なります)は,四旬節の断食期間にもかかわらず企画されたチョコレート祭りを妨害しようと,夜,あろうことか主人公のチョコレート店に忍び込みます。しかし,展示されたチョコレートの数々が,そして精巧につくられたチョコレートの人形が,断食と失意でもうろうとする司祭の脳裏にそっとささやきかけます。司祭にはそう感じられたのです。
(48) Try me. Test me. Taste me.
つまんで。ためして。とろかせて。
”Taste me”のところは,私を味わって,とするほうが原文に忠実です。実際,既存の翻訳ではそうなっています。しかし,/t/の音で頭韻を踏む原文の雰囲気を少しでも出すために,ここでは訳文の頭をタ行でそろえてみました。(語尾も全部「て」で終われるとよかったんですが…)
誘惑に屈した司祭はついにチョコレートを手に取って口にしてしまいます。その時の描写がこうです。
(49) This is different altogether; the brief resistance of the chocolate shell as it meets the lips, the soft truffle inside . . . There are layers of flavour like the bouquet of a fine wine, a slight bitterness, a richness like ground coffee; warmth brings the flavour to life and it fills my nostrils, a taste succubus which has me moaning.
これは明らかに違う。チョコレートの殻は唇が触れるとわずかに抗い,そして柔らかなトリュフがとろけ出る……上品なワインが薫るように味わいが幾重にも重なり,かすかな苦味と挽き立てのコーヒーの芳醇さをもたらす。温められて香りはいっそう引き立ち,鼻腔を豊かに抜ける。悪魔の味わいに身が悶える。
いかがです?
原文は,時間軸にそった味の細密な変化を畳み掛けるように叙述します。ここで目立つのは直喩と暗示です。
直喩で引き合いに出されるのは,ワインとコーヒーです。チョコレートの味そのものからひとまず離れ,香りの高いほかの食品の風味からチョコレートの味わいを想起させるわけです。
この一節で暗示されているのは,セックスです。そのことは,(48)の”Try me. Test me. Taste me.“という誘いのことばにも窺えるかと思います。(49)の直前に来る一節には(48)のほかにも次のような表現があります。(司祭の脳裏をよぎる表現なので,お定まり的な言い回しも含まれています。)
(50) a. the rich fleshy scent(豊かな柔肌の香り)
b. in the very nest of temptation(誘惑の巣のただ中で)
c. these forbidden fruits(この禁断の果実)
d. taste its secret flesh(秘密の果肉を味わう)
このような表現を受けて,(49)は”a taste succubus which has me moaning”という表現で締めくくります。succubusというのは,睡眠中の男と情交を結ぶ女の悪魔のことだそうです。そうなってくるとmoaningが表すうめき声も単なる苦痛によるものではありえません。事実,唇が触れて,わずかに抗いながらも,とろけ出るわけですから。
ジョアン・ハリスは,チョコレートの甘く誘いかける味わいをその味覚以外のことがらに明に暗に言及することで,語り尽くそうと試みました。ストレートに味覚を表現するのはむずかしい。だから,直喩や暗示ではずしながら表現する。そういう戦略が見えたかと思います。