いよいよこの時期、25日を期限として、巷には「Xmas」の文字が溢れている。この「Xmas」は、しばしば「X’mas」と「’」(アポストロフィー)を入れて表記されている【写真1】。このように「X’mas」と書くのは、日本人が生み出した独特の表記だとされる。
英語圏では、キリストのミサを意味する「Christmas」を、省略して表記する際には、ギリシャ語の表記の頭文字(Χ(カイ))を採り入れた「Xmas」となる。「X-mas」とハイフンを入れて書くことはあっても、「X’mas」という表記は全く行われなかったという。この説が当たっている(あるいは外れていても日本に影響がなかった)ものと仮定して話を進めよう。
「Xmas」という短く、印象的な表記は、日本人にも早くから好まれ、さらにこの「’」付きのスペル(綴り)が戦前から見受けられたようで、それなりに歴史が生じている。いわば“交ぜ書き”による「Xマス」にさえも、「X’マス」なんていう表記まで見られる。つまり、和製英語とまでいかずとも、「和製綴り」ということになる。
日本人からすれば、「クリス」という部分を「X」(エックス)だけで書くとは、何か省略があるに違いない(その発想自体は正しい)、そこには「I am」が「I’m」となるように何か「’」くらいは必要なのだろう、と律儀に思うことがあったのであろう。そして、皆が使うため、すっかり見慣れたこともあって、「Xmas」では、かえって何か違和感を感じるという人も現れている。日本人は、漢字であってもローマ字であっても、文字には「それらしさ」を求めているのだ。
こうした習慣に対して、近年、「X’mas」は、正規な表記ではないとして、批判を加え、広告主などに抗議をする人たちが少なくない。テレビ番組の「トリビアの泉」で、この話題が取り上げられたことも影響しているようだ。ただ、「X’mas」の「’」を、「A」に対する「A’」のように「ダッシュ」だと思えばキリスト教社会とは別の、日本独特の庶民のお祭りを指すものとして理解することにつながるのでは、と考えられないでもない。モスバーガーの、店名にかけた「X’mos」【写真2】などは、日本らしさの精髄とも言えよう。
25日が過ぎれば、クリスマスケーキも暴落する中、人々は大晦日にかけて、ベートーベンの第九を聴き( //www.waseda.jp/student/weekly/contents/2006a/091o.html に小文あり)、お寺の除夜の鐘を聞きながら、年越し蕎麦(そば)を食べ、そして神社などへ初詣へ出かける。そのような怒濤の日々のうちに、年末年始が過ぎていく。これも日本人の一つの典型であるが、この各種の異質なものを選択し、融合させる習合ぶりこそは、日本人の凝縮された姿であり、また日本の文字に通底するものではないだろうか。
この「そば」についても気になることがあり、調べている。【写真3】の看板では、「そば」の字は決して間違っていない。しかし、蕎麦屋の看板としては何か物足りなく、味気なく感じられないだろうか。次回は、大晦日までに、そのことに触れたいと思う。