卒業した学生が、律儀にも就職した会社のカップラーメンを段ボールで送ってくれる。こういうのを昔聞いた出世払いというのだろうか、何もしてあげられなかったのでは、と振り返ってしまう。新潟出身の男子学生は、実家からお米を送ってくれた。新米の間は、米が透き通って見えるという。富山のそれと違って、箸の先があまり重く感じない。稲の品種は富山でも同じになってきたそうだ。そうすると水の違いか、炊き方の違いなのだろうか。
小学生か中学生の時、漢字テストはさすがにだんだんと得意になってきていて、とりわけ点数が高かった答案を珍しく母に見せた。一問だけ間違った「水稲」を見て、これは「すいとう」よ、といかにも農家育ちらしく言った。「ミズイネ?」と苦し紛れに書いた東京生まれ、東京育ちの私には、それまで知らないことばだった。
富山県民は、堅実で地味な県民性といわれることがある。九州などを出身地とするテレビに映える派手さをもった芸能人や、可笑しいしゃべりが淀みなく出てくる関西出身の芸能人のような人が少ないというのは、小さい時からその地で見聞した体験からもなんとなく分かる。薬売りの商いはそういう風土とも関わるのだろう。都心で名産の「しろえび」の煎餅店が開店したものの客集めに苦心している姿を見かける。一方で、住宅延べ面積の全国一という広さと持ち家率の高さは、むろん関係がなかろうが越中守に任ぜられた大伴家持の名を思い起こさせる。砺波平野の暴風・防雪のための屋敷林は垣繞からか「かいにょ」や「かいにゅう」などと呼ばれており、「垣入」という漢字が当てられるそうだ。仙台平野にも同様の物があって、「居久根」や「家久根」で「いぐね」と読ませる。この「クネ」は出久根などの姓と同様で、「墻」などの字を当てる地名もある。
八尾町の「おわら風の盆」では女性が大きく独特な形の菅笠をかぶって踊る。まさに秘すれば花だ。なんとなくイスラム女性のブルカを思い起こす。富山では土産物の名も、「焼きしろえび炊き込みご飯」、「越中富山くすしそば赤箱セット」のように、ストレートで律儀なように思える。ゼミには、たまたまだろうか黒部の子、立山の子がゼミ生として集まってきた。入善では、ピーマンのことを「ナンバン」(南蛮)と呼ぶようになってきたという興味深い調査結果があったことも研究発表で聞いた。
町で店頭に置かれた段ボールに、「あかん谷(たに) しょうゆ」とある。「谷」をこう読ませることが、この地にはある。上市町の「穴の谷(あなんたん)」は立山の霊場として知られる。そこでもそうだが、富山では清水(しょうず 北陸で湧き水を指す)があちこちで飲める。富山湾一帯で獲れる「げんげ」は「幻魚」と書いてそう読ませる。語源は「下魚」の転という。今では煎餅にも練り込まれて、売られている。
食パンを「しょっぱん」というのは富山に顕著だ、ということを見つけた方がおいでだそうだ。富山市内では、「そば」と普通の字形で暖簾にあった。スシには「寿し」「寿司」や「鮨」は商品や店の名にあっても「鮓」は見かけなかった。大阪への親しみの感情はあっても、なかなかこの字は定着しなかったのだろう。「源 ますのすしミュージアム」のほか、「富山ます寿し協同組合」があり、名物の鱒ずしにはこの交ぜ書きのような表記が多い。新潟で見た「ばい貝」は、ここでも名産として見かけ、刺身や煮付けになる。