場面:庶民の女性が菜を摘み、洗濯し、糸を紡ぐところ
場所:山和国の奈良街道沿いの民家か
時節:ある年の春
人物:[ア]水を汲む女 [イ]洗濯する女 [ウ]菜を摘む女 [エ]尼君を見つめる女 [オ]尼君 [カ]従者 [キ]糸を紡ぐ女
建物など:Ⓐ・Ⓦ土壁 Ⓑ・Ⓥ掘立柱 Ⓒ・Ⓧ板屋根 Ⓓ松の木 Ⓔ松葉 Ⓕ稲束 Ⓖ井桁の井戸 Ⓗ釣瓶縄(つるべなわ) Ⓘ割竹形の石の洗濯場 Ⓙ垣 Ⓚ畠 Ⓛ桃 Ⓜ畦道 Ⓝ菜 Ⓞ敷居 Ⓟ柱 Ⓠ上長押 Ⓡのれん Ⓢ土間 Ⓣ台 Ⓤ猫 Ⓨ押さえ木 Ⓩ垂木(たるき)
衣装・道具など:①・⑦・⑩・小袖 ②・⑧・⑪褶(しびら) ③・④・⑨曲物桶(まげものおけ) ⑤柄杓 ⑥布 ⑫・⑱・草鞋 ⑬頭巾 ⑭袿 ⑮杖 ⑯数珠 ⑰・脚絆 ⑲烏帽子 ⑳蓑 四幅袴(よのばかま) 笠 敷物 糸 手すりつむ 紡錘車(つむぐるま) 手押台 手押木 曲物の苧桶(おおけ)
はじめに 前回に続き『信貴山縁起』の「尼君巻」を採り上げます。この巻は命蓮の姉尼君が、弟の安否を案じて故郷の信濃国からはるばる大和国まで旅をして、東大寺の大仏のお告げによって命蓮と再会し、共に出家生活を営むまでを描いています。今回採り上げます場面はその旅の途中で、すでに大和国になっていて、庶民の家や生活が描かれています。
立木に稲束を干す それでは画面右側から見ていきましょう。Ⓐ土壁にⒷ掘立柱、Ⓒ板屋根が見える民家の前にⒹ松の木が植えられています。その枝にはⒺ松葉以外のものが見えますね。これはⒻ稲束で、干しているのです。これを稲木(稲機)といい、柵や木組みを使用することもありました。ただ積み重ねておくよりも、よく乾きますので、平安時代初期には始まっています。稲以外にも、豆類などもこうして干していました。
水を汲み、洗濯する女 画面右下には、二人の女性が家事労働しています。右側の①小袖に②褶を付けた[ア]女は、Ⓖ井桁を組んだ井戸から、Ⓗ釣瓶縄をたぐって水を汲もうとしています。その水は井桁に置かれた③曲物桶に入れられます。隣の女に渡すのでしょう。
左側の[イ]女は、④曲物桶から⑤柄杓で水を汲んでかけながら、裾をかかげた両足で⑥布を踏み洗いしています。洗濯場は、竹を縦に割った半分のようなⒾ割竹形の石になっています。どこかから運んできたのでしょう。
庶民の衣類は、繊維の硬い麻や苧(からむし)などから作られますので、手もみ洗いよりも踏み洗いされました。貴族の着る絹製品は、踏み洗いですと生地が傷みますので、手洗いになります。
菜を摘む女 画面中央上部は、Ⓙ垣で区切られてⓀ畠になっています。垣沿いに植えられているのはⓁ桃で、花が咲いています。春の時節になりますね。畠にはきれいにⓂ畦道が作られています。⑦小袖に⑧褶の[ウ]女が、裸足でしゃがんでⓃ菜摘みをしています。⑨曲物桶の中には摘んだⓃ菜が見えます。この辺りにしか菜はないようですが、他の部分は描かれていた菜の緑色が剥落したのだと思われます。
庶民の家には、こうした畠が作られ野菜類を自給していました。その管理は女の仕事になっています。先の水汲みや洗濯、次に見ます糸紡ぎも女が担当です。
垣の内側から顔をのぞかせている[エ]女も⑩小袖に⑪褶を付け、⑫草鞋を履いています。[オ]尼君の様子が気になるようです。
尼姿と従者 ⑬頭巾・⑭袿姿で、⑮杖を持ち、⑯数珠を下げているのが、命蓮の姉の[オ]尼君です。この場面以前には乗馬の旅で沓を履いていましたが、今は徒歩になり、⑰脚絆に⑱草鞋になっています。腰を下ろして、命蓮のことを尋ねているのです。しかし、この家の住人は、知るよしもありませんでした。
道端に⑲烏帽子に⑳蓑を着て立つのは、信濃国から同行している[カ]従者です。前後各二幅(にの)で仕立てた裾の短い四幅袴、脚絆、草鞋の旅姿です。手に持つのは、尼君の笠です。蓑が膨らんでいるのは、その下に荷物を背負っているからです。衣類の他に、米なども荷物になっています。尼君の旅は、こうした従者の働きがあって可能なのです。
糸を紡ぐ女 尼君の相手をしている、敷物に坐る小袖の[キ]女は、糸を紡いでいます。右手下に見えるのを、手すりつむと言います。細い棒に車をつけ、回転させて糸を撚りながら巻きつける道具です。画面では、糸が円錐状に巻かれた形で描かれています。巻かれた糸を受けている部分が車で、紡錘車と言います。
女の膝下に見えるのは手押台です。角棒状の片側は薄く板のようになっていて、膝で固定します。その手前の台形状は、手押木で手代木(てしろぎ)とも言います。手押台に手すりつむの軸を横に置き、その上を手押木で押しますと、手すりつむはくるくる回り、糸を巻きつけることができます。
さて、この女はどういう作業をしているのでしょうか。女の左手下にある曲物桶は、苧桶にしていて、中に糸が入っています。その糸を手繰り、撚りをつけながら、手すりつむに巻きつけているとする見方があります。しかし、逆のような気がします。ここは、手すりつむに巻きついた糸を右手で引き出しながら、左手で撚りをつけて、苧桶に落としているのではないでしょうか。
庶民の家 最期に、庶民の家を見ておきましょう。尼君が腰を下ろしているのは、出入り口となるⓄ敷居です。その左右に角材のⓅ柱が立ち、上部にⓆ上長押が見えます。その内側にはⓇのれんが下がっています。中はⓈ土間になっていて、この家では左側に二間分の板敷の部屋に続いていますが、スペースの関係でカットしています。土間の奥のⓉ台の上にⓊ猫が寝ていますね。
畠に面した面は、Ⓥ掘立柱にⓌ土壁となっています。五間分描かれていて、道に面した面よりも、奥行きの深いウナギの寝床になります。Ⓧ板屋根には、Ⓨ押さえ木が渡されて固定しています。その下にはⓏ垂木が見えます。絵巻類で描かれる庶民の家の代表的な構造がここに見てとれるのです。
絵巻の意義 尼君の長い旅は、地方の人々の援助によって成り立っています。また、長い旅であることを示すために、その途中で出会った人々の生活が描かれました。今回の場面では、庶民の仕事ぶりが描かれて貴重です。いずれも女性たちの仕事でした。『信貴山縁起』は、尼君を主人公にするだけでなく、生き生きと働く女性たちを描いています。水汲みと菜摘みは、「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集・哀傷・一三四六・大僧正行基)という歌に詠まれていました。共に仏道の修業を思い起こさせる仕事です。また、糸を撚ることや洗濯は、僧衣とかかわるかもしれません。僧衣の世話は、母や姉妹などの女性がしていました。この絵巻でも、尼君は再会した命蓮に、故郷から持参した衲(だい)と呼ぶ僧衣(衲衣。のうえ)を差し出しています。女たちの仕事は、仏道修業や僧衣を連想させます。庶民の女たちの姿は、そのままで仏の世界に通じていることを暗示しているのかもしれません。