「百学連環」を読む

第11回 「輪の中の童子」の謎

筆者:
2011年6月17日

二回にわたって、「百學連環」の語源であるギリシア語の綴りについて見てきました。今度は、意味内容の検討に移りましょう。まず、改めて冒頭の文章を掲げます。

英國の Encyclopedia なる語の源は、希臘のΕνκυκλιος παιδειαなる語より來りて、其辭義は童子を輪の中に入れて教育なすとの意なり。故に今之を譯して百學連環と額す。

Ενκυκλιος παιδεια(エンキュクリオス・パイデイア)」というギリシア語は、「童子を輪の中に入れて教育なす」という意味であると説明していたのでしたね。たいへんヴィジュアルというか、視覚的です。カワチ・レンさんに描いていただいたイラストを掲げてみましたが、まさにこんな場面が思い浮かびます。

それにしても、ここで言う「輪」とはなんなのか。そのことについての説明はありません。ちなみに「乙本」ではこの部分、「輪」ではなく「周環」と改められています。「百學連環」の「環」が入っていますね。いずれにしても、意味としては同じと考えてよいでしょう。

このくだりを理解する手がかりは、第二文にあります。上に掲げたように西先生は、「故に今之を譯して百學連環と額す」と説明を続けています。この「故に」がミソです。西先生は、さも当然であるという様子で「故に」と言います。改めて当世風に書けば「このギリシア語は、子どもを輪の中に入れて教育するという意味だ。だから、百学連環と訳したのだよ」となるでしょう。

一見すると「だから」という接続で、物事が説明されているかのようです。しかし、この二つの文章を見る限りでは、「子どもを輪の中に入れて教育する」という意味の語を「百学連環」と訳す理由は分かりません。とはいえ、この言いぶりから、西先生の脳裏では両者がしっかりつながっているらしいことが窺えます。

先に言えば、西先生の「だから(故に)」は、それこそ故あってのことなのです。実際、「童子を輪の中に入れて教育なす」と「百學連環」という訳語には、つながりがあります。ただし、西先生は、説明を相当はしょっているので、つながりが見えづらくなっています。

まずは、古典ギリシア語の辞書によって、この語の意味を確認してみることにしましょう。「Εγκυκλιος(エンキュクリオス)」と「παιδεια(パイデイア)」は、それぞれ次のような意味です。ここでは、Liddle-Scottの希英辞典(Oxford University Press)〔LSと略記〕と、古川晴風編著『ギリシャ語辞典』(大学書林)〔FSと略記〕に見える意味を並べてみます。

Εγκυκλιος
LS: I. circular, rounded, round. II. revolving in a cycle, periodical, ordinary
FS: 丸い; 定期的な、毎年の; 通常の、日常の; 一般的な、全般的な

παιδεια
LS: I. the rearing of a child, 2. training and teaching, education 3. its result, culture, learning, accomplishments II. youth, childhood
FS: 1. 養育 2. 訓育、教育; 鍛錬; 教育の結果身についたもの、教養 3. 躾け、懲戒 4. 幼少時代; (集合的に)若者たち

英語と日本語とで、語義の並べ方やその意味の範囲に違いが見られますが、大きくは同じほうを向いていると言ってよいでしょう。

Εγκυκλιος」は、面白いことに「円形」や「丸い」という意味と同時に、「日常の」とか「通常の」という意味を割り当てられています。(いまのところ)毎日上ってくる太陽のように、毎日巡ってくることが円のイメージと重なっているのでしょうか。ついでに言えば、この言葉は「Εν」と「κυκλιος」の合成語です。「Εν」は「~の中に」などの意味をもつ前置詞、「κυκλιος」は「円形の」「円を描く」といった意味の形容詞です。

また、「παιδεια」は、「子ども」を「教育」することに強く関連した語であることが分かります。もともとこの語に含まれている「παις」は、「子ども」という意味の言葉でした。英語で「教育学」のことをpedagogyと言いますが、これなども語源を辿ると「教育」という意味の「παιδαγωγια(パイダゴーギアー)」に由来しています。

というわけで、まだすっかり分かったというわけには参りませんが、「Εγκυκλιος παιδεια(エンキュクリオス・パイデイア)」が、「童子を輪の中に入れて教育なす」という意味と無縁ではないことが見えてきたと思います。

しかし、どうしてこれを「百学連環」と訳すことになるのかは、まだ分かりません。次回、続けて検討してみることにします。

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=卽(U+537D)

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筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

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