前回は、「百学連環」の冒頭に現れるギリシア語の形を眺めてみました。というのも、「甲本」「乙本」、そして「覚書」の三つの関連文書において、それぞれ違う形のつづりが見られるからです。今回は、なぜそのような違い、綴りの揺らぎが生じたのかということを推理してみます。
三つの綴りに加えて、ギリシア語の文献に広く見られる形を並べておくことにしましょう。「辞書」と添えたのがそれです。
Ενκυκλιος παιδεια(甲本)
Εγκυλοςπαιδεια(乙本)
Εγκυκλοςπαιδεια(覚書)
Εγκυκλιος παιδεια(辞書)
どうしてこのような違いが生まれたのでしょうか。この三つの文書の関係をいま一度、整理しながら考えてみます。
まず、西先生が講義に先立って、手帖に「覚書」をつくったと考えるのは無理がないと思います。この「覚書」は、ありがたいことに「全集」第4巻に、活字にせず先生の筆跡そのままにコピーされています。
西先生は、この「覚書」をもとに講義し、それを聴講した永見氏が「甲本」を書き記したのだと思われます。このとき、西先生が、いまで言う板書のようなことをしたかどうか分かりません。仮に板書して見せたとすると、「覚書」と「甲本」でギリシア語の綴りが違っているのは変な気もします。前回述べたように、特に二文字目の「γ」を「ν」と記しているところがちょっと怪しいのです。しかし、西先生が口頭で説明したものを、耳で聞いた永見氏が、あのように音に従って綴ったと考えれば整合するように思われます。
また、今回並べた「辞書」の綴りを仮に正しい綴りだとすると、「覚書」も「甲本」も、それぞれ一文字だけ「辞書」の綴りと食い違っています。「覚書」の「λ」の後ろに「ι」を入れれば「辞書」の綴りになりますし、「甲本」の「ν」を「γ」に置き換えれば「辞書」の綴りになります。つまり、「覚書」と「甲本」の綴りは、いずれも惜しいのです。どちらがいっそう「辞書」に近いかと言えば、「甲本」です。なぜなら、「甲本」の綴りは、発音した場合には、「辞書」の綴りと区別がつかないからです。「覚書」の綴りは、そのまま発音すると「ι」が抜けていることに気づきます。
そこで、こんな推測ができます。西先生は「覚書」に記した言葉を見ながら講義をした。その際、自分のメモのギリシア語綴りに「ι」が抜けていることに気づいて、口頭ではこれを補って述べた。だから、それを耳で聞いて記した「甲本」は、「γ」以外は「辞書」と同じ綴りになっている、というわけです。こう考えると、結果的に「甲本」が「辞書」の綴りに最も近い理由がつきます。
さて、永見氏が書き上げた「甲本」を西先生に見せて、「乙本」を作ったのかどうか、これも推測するしかありません。仮にそうだとすると、西先生が、「甲本」の「Ενκυκλιος παιδεια」という綴りに気づいて「おや、ここはγだぞい」と手を入れた可能性があります。しかし、「乙本」は、「甲本」と比べると分かりますが、「λ」の前後の文字が抜け落ちています。「辞書」の綴りと比べると、「退化」してしまっているのです。西先生がチェックした結果、こうした変化が生じるのは不自然にも思えます。永見氏が、「甲本」から「乙本」をつくり直したと考えたくなるところです。
あくまで残された文書からの推測ですが、こうした綴りの揺らぎに、そんなやりとりの痕跡が残っているように思うのでした。三つの文書のなかに、似たような表記の揺らぎがあれば、この推測をもう少し確度の高いものとして裏付けられるかもしれません。頭の片隅に置きながら読み進めることにしましょう。