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曲のエピソード
プロのシンガーとしてのスタート地点は、第三者のレコーディングに参加する“縁の下の力持ち=セッション・シンガー”だったキャリン・ホワイト。フィラデルフィア生まれでフュージョン畑のソングライター/プロデューサー/キーボード奏者であるジェフ・ローバー(Jeff Lorber/1952-)のリーダー作にゲスト・シンガーとしてフィーチャーされ、「Facts of Love」(1986/R&BチャートNo.17,全米No.27)と「True Confessions」(1987/R&BチャートNo.88)の2曲でその名が知られるようになる。程なくして、敏腕ソングライター/プロデューサー・コンビだったL.A.リード&ベイビーフェイスの全面バックアップのもと、セルフ・タイトルのアルバムで華々しくデビュー。1stアルバム『KARYN WHITE』(1988)は、R&Bアルバム・チャートで7週間にわたって首位の座をキープし、全米チャートではNo.19を記録する大ヒットとなった(プラチナ・ディスク認定)。同アルバムからは矢継ぎ早にヒット曲が生まれたが、当時、世の女性たちのハートをガッチリとつかんだのがこの曲だった。
女性の心の襞を丁寧に描写した歌詞を綴ったのは、自身もシンガーであるベイビーフェイス。この曲が大ヒットしてから数年後に来日公演を行ったキャリンにインタヴューする機会に恵まれたのだが、渡りに船とばかりに、彼女に思い切ってこう訊ねてみた。「ベイビーフェイスは男性なのに、どうしてあそこまで繊細な歌詞を綴ることができたんでしょうね?」と。しばし考えてから、キャリンは次のように答えたものだ。「彼が奥さん(注:一般人だった最初の奥方を指す/インタヴュー当時、彼は奥さんと別居中だった。程なくして離婚)にそうあって欲しい、と望んだ女性像をそのまま歌詞に綴ったからじゃないかしら」――ナルホド。そしてこうも言っていた。「あの曲のレコーディングは本当に大変だったのよ。何度も何度も歌い直しの指示がベイビーフェイスから出されて、結局は20回ぐらいレコーディングをやり直したわ(苦笑)。彼は本当にプロフェッショナルな人だから」――再びナルホド、と深くうなずいたものだった。
その“歌い直し”の指示が奏功してか、この曲でのキャリンのヴォーカルは女優でいうなら“迫真の演技”そのものである。歌詞の内容に沿ってドラマ仕立てになっているプロモーション・ヴィデオもまた然り。当時、筆者はこのPVを何度もくり返し観たものだが、その度に、“私はあなたのsuperwomanじゃないのよ!”と熱唱しながらの彼女の所作と顔の表情に胸が締め付けられたものだ。今にも崩れ落ちそうな女性を体現する一方では、どこかに芯の強さも秘めているようで…。最近になって久々にこの曲のPVを再見したのだが、当時に受けた印象が鮮やかに蘇った。と同時に、こうも考えたのである。ひょっとしたら、昔も今も世の殿方は女性に“superwoman”像を求めてやまない生き物なのではないか、と。
曲の要旨
あなたの好みに合わせて朝食を整えても、あなたは不満を口にするばかり。あなたと私、以前ほど会話を交わさなくなってしまったわね。心の奥底では深く傷ついているけれど、私には私なりのプライドがあるから、泣いたりなんかしないわ。けれど、本当は今にも萎えてしまいそうなのよ。私はあなたが理想とする良妻賢母なんかじゃないの。私だって普通の人間なのよ。解ってちょうだい。いつどんな時もあなたの支えになってあげるわ。だけど私はあなたが望むような理想通りの女にはなれないのよ。あなたが私と同じぐらい私を愛してくれるのなら、私だってあなたに永遠の愛を捧げるわ。
1988年の主な出来事
アメリカ: | 共和党候補のジョージ・ブッシュ(George Herbert Walker Bush/1924-)が大統領選で当選。 |
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日本: | 青函トンネルが開業する。 |
世界: | イラン・イラク戦争が停戦。 |
1988年の主なヒット曲
The Way You Make Me Feel/マイケル・ジャクソン
Seasons Change/エクスポゼ
Wishing Well/テレンス・トレント・ダービー
One More Try/ジョージ・マイケル
Roll With It/スティーヴ・ウィンウッド
Superwomanのキーワード&フレーズ
(a) superwoman
(b) let down
(c) go through the emotions
この曲がヒットしていた1988年当時、世間の反応は“女性が共感した”ぐらいの記憶しかないが、よくよく傾聴してみれば、女性の権利を守ることを声高に提唱しているどこかの団体からお叱りを受けそうな歌詞である。とにかく主人公の女性がいじらしいまでにかいがいしい。歌詞を一聴(一見)すればお判りのように、彼女は朝から晩まで家庭を守る“専業主婦”だ。朝は旦那様の朝食を整え(そして文句を言われる)、夜は彼の帰る頃合いを見計らって夕食の準備をする(そして「腹は減ってない。それより新聞を読みたい」とすげなくされる)。それでも彼女は不満を漏らさない。夫にどんなに冷たくあしらわれようと、ジッと耐え忍ぶのだ。ああ、じれったいったらありゃしない!
今になって頭をよぎるのは、インタヴュー中にキャリン自身が歌詞を綴ったベイビーフェイスについて語った言葉。「彼が奥さんにこうあって欲しいと望む理想像」=スーパーウーマン……。もしかしたら、当時この曲の歌詞は女性の共感を得た、と思ったのは筆者の大いなる勘違いであって、じつは男性陣の心を捉えたのではなかったか。ううん……これだから殿方というものは……。恐らくほとんどの男性が愛する女性に望む理想像であろう(a)は、文字通り「超人的な女性、何事もものの見事にやってのける女性」という意味だが、実際には曲の主旨でも意訳したように「家事も育児も完璧にこなす女性=良妻賢母」という意味合いで使われることが多い。もちろん、この曲でもそう。実際、PVには夫役と子供役の俳優さんが登場している。そして淡々と家事をこなす主婦=キャリン……。当時、彼女はまだ23歳だったが、なかなか堂に入った奥さんぶりを演じていた。特に筆者が忘れられないのは、大きなシーツを外で干すシーン(恐らくアメリカ南部のどこか、という設定だったのだろう)。物干し竿ならぬ物干し紐を指でつかみ、切なそうな表情を浮かべて歌う姿が今もって脳裏から離れない。「私はあなたの望む良妻賢母なんかじゃないの!」という歌詞が「私だって心を持ったひとりの人間なのよ!」と聞こえるシーンである。あの大きなシーツが風に煽られる様子に彼女の心の揺れが投影されているかのようで、鮮烈だった。
(b)は辞書の“let”の項目にイディオムとして載っているもので、意味は「~を失望させる、見捨てる、裏切る、辱める」など。ここでは「私はあなたにlet downされるような女じゃないの」と歌われていることから、意訳すれば「あなたに侮辱されてたまるもんですか」といったところだろうか。ここのフレーズからは、「私がいつまでも貞淑な妻を演じていられると思ったら大間違いよ!」という“耐え忍ぶ妻”の心の叫びが聞こえてきそうだ。それでも彼女はおいそれとは不満を爆発させよとはしない。何故なら、ここまで邪険にされてもなお夫を愛しているからだ。こうしたこまやかな感情表現もまた、キャリンのヴォーカルによって支えられている。実際の彼女は、カラッとした明るい女性だったのだが、そこはベイビーフェイスの指導の賜物だろう。更に踏み込んで言うなら、キャリンは私生活では稀代のソングライター/プロデューサー・コンビのジミー・ジャム&テリー・ルイス(L.A.&ベイビーフェイスの好敵手だった)のルイス氏と1991年に結婚、一児を儲けるも1999年に離婚。2007年に再婚し、現在はそのお相手と幸せに暮らしているとのこと。彼女が実生活で“superwoman”になろうとしたか否かは判らない。しかしながら、どこかしらこの大ヒット曲が彼女のイメージにつきまとっていたのではないか、とも思う。
面と向かっては言わないものの、この曲の主人公は思いを歌に託しつつ夫への不満を吐露し続ける。取り分けイディオム(c)を含むフレーズは辛辣だ。曰く「あなたは何でもかんでも(=愛情表現)上辺だけで済ますのね」。(c)は「(動作や仕草などを)お義理でやる、形式的に済ます」といった意味で、つまり愛情のカケラも感じられないような抱擁やキスなどをするのね、と暗に相手を責めているのだろう。ここのフレーズを歌うキャリンのヴォーカルには怨念すら感じられてちょっとコワい。まあ、悪いのは夫の方なのだが……。
さてさて、この女性はそのうち夫に対する不満を大爆発させるのだろうか?――歌詞ではそこまで語り尽くされていないため、その後この夫婦がどうなったかは判らない。筆者が勝手に想像するに、恐らく彼女はずっとそのまま“superwoman”を演じ続けるのではないだろうか。先述のように、夫への不満を延々と述べつつも、彼女は決して夫への愛が冷めてしまった、とは歌っていないから。どころか、見返りを望んでいるにせよ、この先もずっと夫を愛する、とまで言い切っているのだ。何とまあ出来た奥さんなんだろう!
恐らく今もキャリンはこの曲をステージ上で歌い続けていることだろう。が、彼女自身も結婚と離婚、更には再婚を経験して、この歌への感情移入の仕方が以前とは異なっているのでは、という気がしてならない。まだ20代半ば頃だった彼女が歌うこの曲をナマで聴いたのだが、現在の彼女がどういった解釈で「私はあなたの理想通りの良妻賢母なんかじゃないのよ!」と歌うのか、無性に聴いてみたいと思う。そして機会があれば、あの時のインタヴューで訊ねることができなかった次の質問をぶつけてみたい。「あなた自身はこの曲の主人公に感情移入ができますか?」と。