『日本国語大辞典』をよむ

第103回 教育的ではない?話

筆者:
2023年2月26日

『日本国語大辞典』から見出しを4つあげてみます。

あくしょ【悪所・悪処】〔名〕(1)山道や坂など、進むのに困難な所。けわしい場所。難所。(略)(2)江戸時代、遊里や芝居町をさしていう。悪所場の略ともいう。*俳諧・江戸十歌仙〔1678〕三「大屋形漕ゆく人は★月〈春澄〉(編集部注:★は、偏が月、旁が竜) 悪所にわかるる友声の鴈〈言水〉」*浮世草子・好色一代男〔1682〕五・七「又悪所(アクショ)へか。颯(ざっ)と見て帰らう」*雑俳・柳多留-五〔1770〕「悪所とは罰の当った言葉也」*洒落本・田舎芝居〔1787〕三立目「遊所で席論なア入申さない。先へ這ったものが先に居べき筈でござらアよ。こかア悪所でござります」(以下略)

あくしょ【悪性】〔名〕「あくしょう(悪性)」の変化した語。

あくしょう【悪性】〔名〕(1)仏語。人の性の三つの種類、三性(さんしょう=善性・悪性・無記性)の一つ。貪(むさぼ)りなど、悪心、および悪心がおこした一切の悪の行為。(略)(2)(形動)(─する)悪い性質。特に、身持ちの悪いこと。酒色にふけったり浮気をしたりすることや、そのような性質・ありさま。また、その人などをいう。*評判記・役者評判蚰蜒〔1674〕藤田皆之丞「むねのあくせうの血をくるはせ、人のかねをばすい膏薬(かうやく)」*評判記・色道大鏡〔1678〕一「悪性(アクシャウ)悪人のみをさしていふ詞にあらず、当道にても、いたづらなる者をいふ。悪性(アクセウ)を題する歌。風呂すまふ芝居兵法おとこだてしゃみそばきりにばくち大酒、此歌にて、此心をしるべし」*浮世草子・新色五巻書〔1698〕四・五「かかる悪性する身は天道の利を背くなれば、晩かれ夙(と)かれ此事露はれ」*浄瑠璃・心中刃は氷の朔日〔1709〕上「たたきなをいていけんしてやきなをひても悪性(アクシャウ)の、さけと色とのかすがひや」*浮世草子・傾城禁短気〔1711〕四・三「とかくさふした悪性(アクシャウ)な男を、此内には一日もならぬ」*人情本・春色梅美婦禰〔1841~42頃〕四・二〇回「淫蕩(いたづら)ものよ悪性(アクセウ)な、姉と妹で一個の男を、恋争ひは何事ぞ」(以下略)

あくしょうがよい【悪性通】〔名〕「あくしょがよい(悪所通)」に同じ。*歌舞伎・傾城仏の原〔1699〕傾城奥州嫉妬の歌「何時の間にかは秋風の、吹くや越路の山越えて、浪の三国の分ある里へ、悪性通ひの面憎や」

おもに江戸時代の日本語において、ということになりそうですが、まず〈遊里や芝居町〉を語義とする「アクショ(悪所)」という語があります。一方、〈悪い性質〉特に〈酒色にふけったり浮気をしたりして身持ちの悪いこと〉を語義とする「アクショウ(悪性)」という語があります。遊里が「アクショ(悪所)」でそこにしばしば出入りして身持ちが悪いのは「アクショウ(悪性)」ということです。「アクショウ(悪性)」だから「アクショ(悪所)」に通う、いや「アクショ(悪所)」に通う人が「アクショウ(悪性)」? 「悪所が先か悪性が先か」みたいな感じになりますが、とにかくそういうことです。

「ホントウ(本当)」はどういう語かはっきりしないところがありますが、「ホントウ」がもともとの語形だとすると、「ホント」は「ホントウ」の末尾の長音がない語形ということになります。ある語形から長音を除いた語形を「短呼形」と呼ぶことがありますが、「ホントウ」をもともとの語形とするならば「ホント」は「ホントウ」の短呼形といえるでしょう。かつては「コンピューター」という語形を使うことが多かったと思いますが、現在は「コンピュータ」もひろく使われています。「コンピュータ」は「コンピューター」の短呼形です。漢語「女王」は、筆者は「ジョオー」と発音しますが、「ジョーオー」と発音する学生がかなりな数います。「ジョオー」からすれば「ジョーオー」は長音が入った「長音形」ということになります。このように日本語においては、長音がいわば不安定で、出たり入ったりすることがあります。

さて、〈悪い性質〉=「アクショウ(悪性)」によって遊里に通っても、「アクショ(悪所)」が好きで遊里に通っても、通っていることには変わりはありません。前者は「アクショウガヨイ」、後者は「アクショガヨイ」ということになるのでしょうが、行為自体が同じであると、結局はその行為をあらわしている語も接近してきます。しかも、「アクショウガヨイ(アクショーガヨイ)」の長音部分がきちんと1拍分でなく短めに発音されたりすれば、すぐに「アクショガヨイ」に近づいてきます。

こんなことから、「アクショ」と「アクショウ」は特に複合語において接近し、その結果「アクショウガヨイ(悪性通)」と「アクショガヨイ(悪所通)」は同じように使われるようになっていったと推測できます。

「アクショウガヨイ」という発音を文字化するにあたって、「悪所通い」と文字化したり「悪性通い」と文字化したりすることによって、そうした接近はどんどん進んでいったはずです。悪所とは何か? その事細かな説明はしないでおきましょう。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。