世の四字熟語辞典を見ていて、いつも気になることがある。たとえば、「漁夫之利」。あるいは、「蛍雪之功」。こういった「之」を含むものは、“四字熟語”だと言ってよいのだろうか?
これらは、古典中国語としては「○○之○」と書くのだろう。しかし、現代日本語としては「○○の○」と書き表されるべきものではないだろうか。だとすれば、漢字4文字ではなくなる。“四字熟語”というものが、日本語の中で熟して用いられる漢字4文字の語なのだとすれば、「漁夫之利」や「蛍雪之功」はちょっと外れるように思うのだ。
中には、「華燭之典」とか「犬猿之仲」「高嶺之花」なんてのを収録している四字熟語辞典もある。ここまで来ると、なんだか無理して収録語数を増やそうとしているんじゃないかと、げすの勘ぐりをしてみたくもなるというものだ。
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しかし、今回、太宰の用いた四字熟語について調べてみて、ぼくはちょっと考えを改めさせられることになった。太宰にも、この種の“四字熟語”を用いた例があったのだ。
その1つは、『善蔵を思う』という短編だ。故郷の新聞社から酒席への招待を受けた「私」、なんだかえらくなったような気がして出席の返事を出したものの、やがて次のように思い直す。
「何が出世だ。衣錦之栄も、へったくれも無い。」
いわゆる「故郷に錦を飾る」ことを意味する「衣錦之栄」は、6世紀後半の歴史を記した『周書』にそのままの形で出典がある。
また、『禁酒の心』という短編には、
「このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依って所謂浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。」
ともある。「浩然之気」とは、『孟子』にこれもそのままの形で出てくる有名なことば。その実体は抽象的すぎてぼくには理解できないのだが、なんでも、この「気」を養っていなければ君子として大成はできないような、重要な「気」らしい。そういうものなら、ぼくによくわからないのも、無理はない。
これらの語を「衣錦の栄」「浩然の気」とは書かないということは、太宰の頭の中には、「之」を含む形で刷り込まれていたということなのだろう。
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太宰は、旧制弘前高校から東京帝大へと進んだ経歴の持ち主だ。ぼくたちの大半よりははるかに、漢籍を読んだ経験が豊富だったにちがいない。だが、漱石や鴎外、そして芥川のように、漢籍に関する該博な知識を持っていた、とも思えない。当時のインテリとしてはごくごく平均的な、漢籍に関する“常識”を身に付けていた程度ではないだろうか。
そんな太宰の頭の中に、「衣錦之栄」や「浩然之気」が、原文そのままの「之」を含む形で記憶されていたのだとすれば、これらは、少なくとも当時のインテリたちにとっては、“現代日本語”の表現の1つだったのかもしれない、などと思う。つまり、「之」を含む漢字4文字から成る熟語だって、やはり“四字熟語”たりうるのだ。
でもそれは、今から100年前に生まれた人たちの世界でのお話だ。そう考えると、この1世紀ほどのあいだに漢字文化がたどってきた運命について、その善し悪しは別として、いろいろと考えこんでしまうのである。