ハノイの教室では日本で国字と呼ばれる日本製漢字についても話した。「粁」(キロメートル)の類として、「瓱」(ミリグラム)、「竡」(ヘクトリットル)と体系的に、次々に出てくる国字に、声を立てて笑う。明治に気象台によって作られ、ベトナム以外の漢字圏を席巻した字だった。
国字には、「峠」「裃」のように、中国では造字に用いられることが稀だった要素が好まれたことを説明する。中国と違って、日本では「華」より「花」が意符に用いられたと言うと、うんうんと聞いてくれる。ベトナムでは、中国と違って、2字ともにhoaと声調が等しい。「樺」も「椛」となり、「しつけ」には「」という国字も生み出されたと話す。「花」と「華」では、どちらが好きかと尋ねてみると、「花」のほうが好きとのことで、ここは日本に似ているようだ。もしかしたら北に接する中華に対する何らかの思いがあるのだろうか(中華料理は食されているが)。
私の名字の「笹」も国字、パンダが食べるアレで、どうやら「竹葉」の2字を合わせて、「葉」の中から「世」を抜き出して作ったものらしいと話してみた。すると、「竹葉」のほうが良かった、と何人もが残念そうにいう。その方が覚えやすかったとのこと。少なくとも現代のベトナムの人々にとって漢字という文字は、頑張って記憶する対象と、まずは意識されているようだ。
日本製漢字は、7世紀頃から作られはじめ、近代までに少なくとも数千種類は作りだされ、使われてきた。チュノムは、それよりも後から作られはじめたが、その数は、日本と違って仮名が派生しなかっただけに、やはり数千種類に達し、個々人のものや異体字まできちんと採集すれば、1万種を遥かに超えるはずだ。
その造字法としては、六書の何を選ぶか、それ以外にどのような工夫をしたかなど、差も見受けられる。そういう話をする中で、「日本人は外国のものの改良が何でも得意」として「HONDA」を例に出したら、案の定、笑いが起き、よく分かるとのこと。ベトナムでは、日本のどこかの本田・本多さんとしてではなく、ホンダといえばバイク全般の異称となっているほどなのだ。
国字の中には、旁の部分によって訓を表すものがある。チュノムにも、似たものはあるが、日本では、それが熟字レベルでも見られ、さらに合字化が起こり、定着を見せたものまであるのだ。武士の正装である「かみしも」が、江戸時代の間に、
上下 > 𧘕𧘔 > 裃
と表記法を発展させたことが知られているのだが、ベトナムにはここまでの例はなさそうだ。このパターンは、実は今でも再現されている。慶應義塾大学は、ベトナムでもよく知られた大学のようだ。
と書くことがあるというと、意外そうにおかしがる。これは位相文字といえるのだが、近年、さらに狭い集団内ながら省略が進められて、
となってきた(だいぶ前から使っていたという証言も得ている)。このことも話すと、日本同様、大きめの笑いが起こった。ローマ字ばかりを使うベトナムでは、さすがにここまで体系を異にする文字を混合させた「文字」は、生じなかったようだ。
「腺」は、ベトナムでも使うかと聞いてみると、「ティエン」という語として使っているとのこと。これは和製の漢字(国字)で、元は日本からだと話すと、意外そうに微笑んでいる。江戸時代に、蘭学者の宇田川榛斎(父の玄随がドラマの「JIN―仁―」に登場した由)が自ら示した「泉」による発音ではなく、中国や韓国と同様に「線」という字の読み(及び声調)となっている。日本では「泉」も「線」も同音だが、他の国々では異なる発音となっている。これは、字音の類推の仕方の差のほかに、腺組織をどのように捉えたかにもよるのだろう。そこからみても、また他の漢越語の実勢を眺めても、おそらく中国語を経由して「腺」は移入されたものと考えられる。他国を介して間接的ではあっても、とにかく日越でのつながりが確かに感じられた。
日本でこの字は、個人文字から位相文字となり、200年かけてやっと昨年になって常用漢字表に採用されたものだ。中国と同様に「リンパ腺」などと使ってはいるものの、ベトナムでは語を残して漢字は消えている。なお、韓国でも国語醇化運動や医学用語を分かりやすくするための見直しによって、この字はもちろん、「ソン」という字音語も消されつつあり、固有語「セム」に言い換えられるようになってきた。ただし、この新しい表現は、泉の意であるところから、偶然かもしれないが、榛斎の発想自体は彼の地にも残ったと見ることができるのかもしれない。