1956年10月15日、電電公社は東京~大阪間で、加入電信サービスすなわちテレックスを開始しました。新しい「加入電信用印刷電信機」が、新興製作所や沖電気工業によって開発・生産され、テレックスに使われました。もちろん、そのキー配列は「シ」と「F」が同じキーになっていて、文字コードも「シ」と「F」が同じ「○○●○●●」でした。
しかし、テレックスの新しいキー配列は、それまで新興製作所の「和欧文印刷電信機」を使ってきた顧客たちに、新たな可能性を見開かせました。キー配列を変更してもかまわないのだ、ということを、顧客たちに気づかせてしまったのです。顧客の中でも、国鉄の石原嘉夫と小鷹勝平は、すこぶる革新的でした。国鉄の電気局通信課にいた石原と小鷹は、国鉄の全てのテレタイプを一新すべく、新たなキー配列とそれに合った文字コードを搭載した遠隔タイプライターを、新興製作所の谷村に要望してきたのです。
石原たちが要望してきたキー配列は、様々な点で谷村を驚かせるものでした。まず、カナキーが全く違っていて、たとえば中段はルハタカシイマサリエロではなく、チトシハキクマノリレと並んでいました。また、数字キーが、上段のシフト側ではなく、中段のシフト側に並んでいました。いずれも、カナモジカイという団体が提唱するカナモジタイプライター用のキー配列を、遠隔タイプライターにも適用しよう、というものでした。アルファベットのキー配列も異様で、中段にQWERTYUIOPが、上段にASDFGHJKLが並んでいました。
アルファベットのキー配列が、こんなおかしなことになっている理由は、谷村にもすぐ理解できました。1234567890とQWERTYUIOPを同じキーにしたいがために、QWERTYUIOPの方を中段に移したのです。その上で、Qと1に同じ「○●●●○●」という文字コードを割り当てることで、『テレタイプ』の上位互換になるように設計しており、新興製作所の「和欧文印刷電信機」とも、Qが同じ文字コードになっていました。同様に、Wと2に同じ「●●●○○●」を割り当てることで、やはり『テレタイプ』の上位互換になっていたのですが、しかし、「和欧文印刷電信機」のW (○●●○○●)とは異なる文字コードになっていました。何と、石原たちが要望した国鉄テレタイプでは、アルファベットの文字コードは全て、穴の数が偶数になるように考慮されていたのです。いわゆる偶数パリティというものを、取り入れていたのでした。
1957年6月、谷村は新興製作所を株式会社化し、谷村株式会社新興製作所としました。石原たちの要望に合わせ、谷村新興製作所が設計した「RS型」国鉄テレタイプは、1958年1月12日に国鉄の主要な幹線に導入され、さらに7月1日には、国鉄の各鉄道管理局を繋ぎました。電電公社のテレックスと、国鉄テレタイプとは、全く異なるキー配列で、文字コードの互換性もありませんでした。電電公社は電電公社で、国鉄は国鉄で、それぞれ独立した電信網を日本中に形成しており、その両方の遠隔タイプライターを谷村新興製作所が作っている、という不思議な構図が成立していたのです。
(谷村貞治(15)に続く)