国語辞典の最も大事な役目のひとつは、語釈、つまりことばを説明することです。利用者の側も、デザインや漢字の示し方などもさることながら、一番注目するのは、やはり語釈のでき具合でしょう。
学習国語辞典(学習辞典)には、語釈が簡単なものもあれば、くわしいものもあります。私は、語釈というものは、必ずしも長ければいいわけでないと考えています。このことは第8回でも述べました。簡単明瞭にまとめるのもまた、編纂者の腕の見せどころです。ただし、今の学習辞典を見ると、語釈が簡単明瞭というよりは、そっけなくて不親切な場合がしばしばあることも事実です。
たとえば、「怯(ひる)む」について、A・Bの2つの学習辞典を比べてみます。
〈勢いがくじける。おじける。〉(A辞典)
〈こわかったり相手の勢いにおされたりして、気が弱くなる。〉(B辞典)
この項目は、B辞典に軍配が上がります。A辞典は、「おじける」という、むずかしいことばで言い換えていますが、「おじける」の項目は立っておらず、これ以上調べることができません。一方、B辞典は、やさしいことばで書いてあって、申し分がありません。
「指揮」の語釈にも、同じような違いが現れています。
〈人々を指図すること。〉(A辞典)
〈1 人々に指図して、まとまった行動をさせること。2 音楽で、演奏者に合図をしながら、曲の演奏をまとめていくこと。〉(B辞典)
A辞典がやはりぶっきらぼうなのに対し、B辞典では、2つの意味に分けて、念入りに書いてあります。たしかに、音楽の場合に限定した意味を記すことは必要です。
私はよく学生に、「こわい」を引くと「おそろしい」、「おそろしい」を引くと「こわい」としか書いていない辞書は問題があると説明します。ところが、A辞典を含めて、学習辞典では、本当に「こわい」「おそろしい」しか書いていないものが多いのです。これでは語釈が循環してしまいます。そんな中で、B辞典を含むいくつかの辞書は、「こわい」「おそろしい」のどちらかにくわしい説明を加えて、循環を断ち切っています。
昔は不親切だった辞書が…
ここに紹介したようなB辞典の語釈は、評価に値するものです。もっとも、このB辞典も、かつては、そっけなく不親切な語釈の目立つ辞書でした。旧版から引用します。
「怯む」は、〈気持ちがくじける。こわくて気が弱くなる〉。
「指揮」は、〈指図して人を動かすこと〉。
そして、「こわい」を引くと「おそろしい」、「おそろしい」を引くと「こわい」と出ています。なんのことはない、先ほどの私の批判がかなり当てはまる語釈だったのです。
B辞典がその後、どんな方針で改訂作業を行ったのかは、私の知るよしもありません。ただ、少なくとも、上記の項目については、語釈が足りないと認め、改善に努力したことは明らかです。私は、この点で、B辞典の編纂者に敬意を表します。
もちろん、どんな辞書でも、すべての項目にわたってすぐれていることはありません。また、一部に難点があるからといって、ほかの項目もよくないことにはなりません。
B辞典は、「こわい」「おそろしい」では、循環をきちんと断っていました。ところが、「本」を引くと〈書物〉とあり、「書物」を引くと〈本。図書。書籍〉、さらに、「図書」「書籍」を引くと〈本。書物〉〈本。書物。図書〉とあって、堂々めぐりが起こっています(一般向けの辞書でもこういうことがあるのは、第8回で触れました)。
その点、A辞典は、「本」の項目に〈人に読んでもらうために印刷して、まとめたもの。書物〉と語釈を示し、循環はありません。ここではA辞典の処理のほうが適切です。
また、「密生」という項目でも、A辞典のほうがB辞典よりも妥当です。
〈すきまなく、生えること。〉(A辞典)
〈草や木が、すき間なく、びっしりと生えていること。〉(B辞典)
「密生」は「毛」の場合も言うので、B辞典が「草や木が」と記したのは限定しすぎです。くわしくしようとして、かえって不正確になってしまいました。
このように、B辞典にも難点はありますが、旧版のそっけなく不親切な部分を改めようという方向性は正しいものです。他の辞書も、そういった方向に向かいつつあるか、これから向かうだろうと思います。ただし、そっけない部分を、簡潔ながら分かりやすく改めるのか、それとも、くわしく長い説明にするのかは、辞書ごとに異なるでしょう。