1895年3月30日、ワーグナー親子は、ワーグナー・タイプライター社を設立しました。設立資金は全て、アンダーウッドが援助しました。そして、設立とほぼ同時にワーグナー・タイプライター社は、「Underwood Typewriter No.1」を発売しました。
「Underwood Typewriter No.1」は、41キー(うち3つがシフト、シフトロック、およびタブ)のフロントストライク式タイプライターで、各キーには2文字ずつが対応しており、大文字・小文字・数字・記号あわせて76種類の文字を打ち分けられます。通常は小文字や数字が印字されますが、最下段の左端にあるシフト・キーを押している間は、プラテンが持ち上がって大文字や記号が印字されます。また、最下段の右端にはシフトロック・キーがあり、シフト・キーを押したままの状態になります。
アルファベットと数字のキー配列は、「Remington Standard Type-Writer No.2」のキー配列を完全にコピーしていました。「Remington」からの移行を容易にすることで、「Remington」を使っているタイピストを取り込もうとする作戦だったのです。ただし、内部機構の違いを反映して、「Underwood Typewriter No.1」のタイプライター・リボンは、過去のどのタイプライターとも異なる形をしていました。キー配列は互換だったのに、タイプライター・リボンは互換ではなかったのです。
「Underwood Typewriter No.1」に加えて、ワーグナー・タイプライター社は、45キー(うち3つがシフト、シフトロック、およびタブ)の「Underwood Typewriter No.2」も発売しました。「Underwood Typewriter No.2」は、キー数を4つ増やすことで、英語以外にも対応しようとしたモデルでした。英語ならば、アルファベットはA~Zの26で済みますが、たとえばスペイン語にはÑが必要です。ドイツ語にはÄとÖとÜと、できればßが必要です。これらの文字を収録するには、アクセント記号の重ね打ちを実装するか、キー数を増やすか、どちらかの方策が必要であり、「Underwood Typewriter No.2」は、キー数を増やすことで対応したのです。
「Underwood Typewriter No.1」と「Underwood Typewriter No.2」は、活字のついたアームが、プラテンの手前に挟まれた紙の前面を叩くやり方で印字するので、印字された結果がその都度、即座に確認できるようになっていました。ただ、プラテンの前面にアームが密集して配置されているために、近くに配置されたアームを高速に連続して打つと、アームが互いに引っかかって動作しなくなってしまう、という問題点がありました。いわゆるジャミングと呼ばれる現象です。しかし、それにもかかわらず、「Underwood Typewriter No.1」と「Underwood Typewriter No.2」は、発売から1900年までの5年間で1万台以上を売りました。ビジブル・タイプライターの時代がやってきたのです。
(フランツ・クサファー・ワーグナー(10)に続く)