「それ、コラムに書いてください!」
『使える!用字用語辞典 第2版』の何度目かの編集会議でたまたましゃべった話を、担当編集者のOさんは聞き逃さず、その場で注文してきました。いつものようにほほえみながら、しかし有無を言わせぬ勢いで。
話題にしていたのは、中国や朝鮮半島の人名の読みでした。
テレビのニュース番組を視聴していると、中国人名は「習近平=しゅう きんぺい」と日本語読み、韓国・北朝鮮の人名は「李在明=イ ジェミョン」「金正恩=キム ジョンウン」と現地音読みです。いずれも漢字文化圏なのに、基準が違うのはどういうことなのか。
注文を受けて執筆したコラム「中国、韓国・北朝鮮の人名」では、
- かつては朝鮮半島の人名も日本語読みしていたが、1984年の全斗煥韓国大統領(当時)訪日の際、韓国政府の要請や日本外務省の方針を受け、放送各局が現地音による呼称に切り替えた。
- 中国では日本人名を漢字で書いて中国語読みする一方、韓国や北朝鮮では日本人名を日本語の発音で呼び、ハングルで表記する。このことから、日本で中国人名を日本語読みし、朝鮮半島の人名を現地音で呼ぶことは、「相互主義」といえる。
- 近年は複数の新聞が中国人名にも現地音読みをつけるようになっているが、放送メディアには広がっていない。
——といった経緯、事情を紹介しました。金大中氏の呼び方が「きん だいちゅう」から「キム デジュン」に変わったのも、全斗煥政権時代を挟んでのことでした。

コラムでは中国や韓国における日本人名の呼び方の例に「石破茂」氏を用いましたが、念のため「高市早苗」氏についても調べたところ、やはり中国のテレビニュースでは漢字を中国語読みした「カオシー ツァオミアオ」、韓国では日本語のまま「タカイチ サナエ」(다카이치 사나에)でした。
『使える!用字用語辞典 第2版』には計61項目にのぼるコラムがあり、表現・表記をめぐって役立つ情報を提供しています。
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一口に現地音読みと言っても、具体的な書き方が簡単に決まるわけではありません。他の国の人名と同様、片仮名表記(読み仮名)が社によって異なっていたり、途中で変わったりすることがあります。
メディアの用語担当者にとって記憶に新しいのが、韓国の尹錫悦(윤석열)前大統領の名前。2022年3月の大統領選時の報道では「ユン ソクヨル」または「ユン ソギョル」でしたが、同年5月の大統領就任までに各社とも「ユン ソンニョル」に切り替えました。尹氏本人がそのように発音していること、日本の外務省が「ユン ソンニョル」を採用したことが主な理由でした。
もともと韓国語では、音の並び方によって連音化(リエゾン)や濁音化、鼻音化などの音韻変化があり、それをどう(どこまで)片仮名で表現すべきか、しばしば判断が分かれます。朴槿恵(박근혜)元大統領の読み仮名も、リエゾンを反映した「パク クネ」のほか、ハングルを1字ずつ読んだ「パク クンヘ」もかつて使われていました。こうした揺れはいずれも誤りとはいえず、個別の慣用や定着度も勘案して決めているのが実情です。
中国語の場合も、有気音・無気音の区別を日本語の清音・濁音と対応させるかどうかなどで、片仮名表記の方式が分かれています。現地音読みを用いる新聞どうしでも、社によって習近平が「シー チンピン」だったり「シー ジンピン」だったりするのがその一例です。
筆者が所属する朝日新聞では2003年から中国要人名の現地音読みを始めましたが、教科書における中国地名表記で用いられる方式を参考に、有気音・無気音とも清音で表す書き方(習近平はシー チンピン)を基本としています。
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私たちがふだん接し、使っている言葉や表記は、昔からずっと同じだったわけではありません。あるときは政策的・人為的に、あるときは時勢や流行の影響を受け、幾度となく形を変えてきました。現地音読みをめぐる経緯もその一つといえます。
新聞・放送の用語担当者はその流れのなかで、言葉や表記のあるべき方向を考え続けています。『使える!用字用語辞典 第2版』からは、その今の姿も感じていただけるはずです。