絵巻で見る 平安時代の暮らし

第19回 『年中行事絵巻』巻十「六月祓(みなづきばらえ)」の寝殿造を読み解く

筆者:
2014年2月8日

場面:六月祓
場所:ある貴族邸の寝殿造
時節:六月晦日

建物:①東の対 ②東中門南廊の屋根 ③南廂 ④・⑮妻戸 ⑤階(はし)⑥・⑯・簀子 ⑦・⑰高欄 ⑧・⑫・下長押 ⑨・柱 ⑩畳 ⑪襖障子か ⑬東透き渡殿 ⑭寝殿 ⑱階 ⑲階隠(はしがくし) ⑳御簾 南廂 茅の輪(ちのわ)

南庭:Ⓐ案(あん) Ⓑ幣串(へいぐし) Ⓒ円座(えんざ) Ⓓ遣水(やりみず) Ⓔ南池 Ⓕ・Ⓘ石組 Ⓖ石橋 Ⓗ築山(つきやま) Ⓙ立蔀(たてじとみ)

人物:[ア]母親か [イ]乳母か [ウ]陰陽師(おんようじ)

絵巻の場面―六月祓 この絵巻が描く「六月祓」は、「夏越(なごし)の祓」とも言う、六月晦日に行われる邪気払いの年中行事です。「夏越」は、「名越し」で夏の名を越して災いを払う意とも、「和(なご)し」で邪神をなごます意とも言われます。現在でも多くの神社で「茅(ち)の輪(わ)くぐり」という形で、この祓がされています。茅(「ちがや」とも)を輪の形にしたものを立て、参詣人にくぐらせて身を祓い清める神事ですが、当時は少し違っていました。このことは後で触れますので、絵巻の場面では、私邸での六月祓がされていることだけ確認しておきます。ではこの絵に描かれた寝殿造を見ていきましょう。

東の対の南面 最初は①東の対になります。なお画面右下の②は東中門南廊の屋根で右上の方向に中門がありますが、今回は割愛しています。これまでも東の対については、第13回第16回で見てきました。また、前回は西の対などの平面図を載せました。それらと、ここの東の対とでは、構造に違いが認められます。どこが違うか、お分かりでしょうか。南面に注意してみてください。対の屋には、吹き放ちの南広廂があるとしてきましたが、ここはどうでしょう。これまでですと、直衣姿の三人の男性が座っている所は、南広廂になっていました。しかし、この絵では③南廂としか考えられません。なぜなら西側に④妻戸が見えるからです。吹き放ちの南広廂でしたら妻戸は不要です。室内となる南廂なので妻戸があり、それが描かれているのです。東の対一つをとっても、その構造には邸宅によって違いがあるのです。

東の対の各部分 次に、復習を兼ねて、東の対の各部分を確認しましょう。手前には三級の⑤階があります。上がった所が⑥簀子で、⑦高欄が付いています。簀子と南廂には、⑧下長押分の段差があります。この境には、⑨柱と柱のあいだに格子が嵌められますが、日中のことですので、ここには描かれていません。南廂には⑩畳が敷かれ、男性三人がいますが、人間関係は不明です。南廂の北側は、絵巻でははっきりしませんが、⑪襖障子が置かれているようです。ここにも⑫下長押分の段差があって、障子の奥は母屋でした。

東透き渡殿 南廂の西側は、先に記しましたように④妻戸があり、それを開いた先は⑬東透き渡殿になります。この渡殿は反った形になっていますので、反渡殿になりますね。下には遣水が豊かに流されています。

寝殿 透き渡殿を渡りますと⑭寝殿になりますが、そこの⑮妻戸とは直面していません。邸宅によっては、渡殿の先に寝殿の妻戸がある場合もありますが、ここはその北側に突き当たっています。妻戸の手前は⑯簀子で、ここにも⑰高欄があり、南面に続いています。南面中央には五級の⑱階が下りています。その上部には屋根が張り出していて、その部分を⑲階隠と言いましたね。簀子の奥が⑳御簾のかかる南廂で、この境にも下長押分の段差があります。

寝殿の規模 それではこの寝殿の大きさを見てみましょう。大きさは正面から見て、柱と柱のあいだが幾つあるか、すなわち何間(なんけん)あるのかを数えて、母屋の規模を言うのでした(第13回参照)。しかし、西面がぼやけていますね。でも数えるヒントは描かれています。また、寝殿の構造を考えれば、見当はつきます。西面を見てください。下長押が西端で切れています。また、簀子が寝殿西側に回っていることが見てとれます。したがって、寝殿正面は、その全体が描かれていると判断できます。寝殿の構造として、寝殿中央の間(ま)の東西に同じ間数(けんすう)があることから考えますと、東面は柱が3本見えますので二間になり、西面も同じです。そうしますと、正面から見ると五間となります。ここから廂分を除きますので、母屋は三間となりますね。闘鶏の家と同じく、三間四面の寝殿ということになります。

寝殿南廂でしていることは 続いて、南廂で女性たちが何をしているのかを見てみましょう。原画も線描画でやや分かりにくいですが、何をしているかは、かろうじて分かります。画面は六月祓の場面でしたので、そのことと関係しています。幼児を抱いた[ア]女性に、前にいる[イ]女性が輪のようなものをくぐらせていますね。これが茅の輪なのです。茅の輪は「菅貫(すがぬき)」ともいい、この絵のように頭上から足もとに下してくぐることを三回繰り返しました。幼児を抱く女性は[ア]母親で、茅の輪を持っているのは[イ]乳母かもしれません。他は侍女たちでしょう。母子の健康を願って六月祓をしているのです。

陰陽師 六月祓は、貴族の邸宅では陰陽師が担当しました。陰陽師は「おんようじ」と読むのが当時で、中世以降に「おんみょうじ」と読まれるようになります。陰陽寮という役所に属して、吉凶を占ったりすることに従事しました。この絵では、衣冠束帯姿で南庭に立っているのが[ウ]陰陽師です。その後方には、Ⓐ案(机)が置かれ、その上にはⒷ幣串(白木の棒に紙を挟んだ串で、祓に用いる)が立てられています。案の前にはⒸ円座(丸い形の敷物)が置かれ、祓をする座になっています。画面は、祓の最中なのです。

南庭・遣水・南池 最後に、南庭をみておきましょう。東側にはⒹ遣水が流され、画面左下はⒺ南池になっています。遣水は、第15回で触れましたように、東渡殿の下から東の対の前に湾曲させて南池まで流すのが普通でした。流れに沿ってⒻ石組が置かれ、草木が植えられています。途中にはⒼ石橋が架けられ、東側はⒽ築山になっていて、渓谷のような風情をかもしています。

草木は寝殿西面からⒺ南池にかけても植栽されています。南池にもⒾ石組があり、荒磯のようです。遣水は川の流れ、南池は海に見立てる、ということが納得されますね。庭作りに精を出す家なのでしょう。

なお、南庭には寝殿西端と直角にⒿ立蔀が置かれ、西側の目隠しとなっています。西側を隠す必要があるからでしょうが、その理由はわかりません。

以上が六月祓で描かれた寝殿造の概要です。次回は、南池の様子を描いた絵巻を見て、第13回から続いた寝殿造を読み解くことを終わりにしていきたいと思います。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は『紫式部日記絵巻』を取り上げる予定です。絵巻成立の年代がわかる、藤原道長の顔の特徴とは…?次回をどうぞお楽しみに。

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