「咾」という字に戻ろう。JIS漢字の出自を洗い直す調査を担当した際に、その原典である『国土行政区画総覧』を「ガラ」と呼ばれたものまで含めて3メートル分余りを目で確認した。その調査結果は、辞書にない国字や異体字については公表してきたが、それ以外の僻字や国訓の類についてもやっと整理することができたので、少しずつながら公開していこう。「咾」は、下記に出現していたために、JISの第2水準に採用されたものであった。
1983.08除去=646号 p2259 咾分北(おとなぶんきた)
このほか、門司の関(狩谷斎の詠む、文字の関)を超えて、他県にも出現していた。
1978.05除去=520号 p2025-28 咾喰(おばくら)
これは、「姥喰」だったものが、部首にいわゆる逆行同化が生じたものとの可能性が考えられ、現にこの地を「姥喰」(うばくら)とする資料もある。萩市大字弥富下に現存している地名だ。
この2つの地名が『国土行政区画総覧』という資料に出現していたために、1978年にJIS第2水準に採用されたのであったのだ。
実は、地名にはもう1か所、だいぶ離れた北海道の地で、この字が使われていたことも分かっている。十勝の幕別町にあった。アイヌ語で溢れる川を意味するという「イカンベツ」に、明治になって間もなく「咾別」という2字が当てられた。村の名で、その地で尋常小学校の名にもなっていた。世慣れた「おとな」や「おば」は、何かというと「いかん」と言う、と発想上の共通点が感じられる。十勝への移民の出身地は、など気に掛かるが、おそらくは偶然の一致なのだろう。
「咾分」(おとなぶん)の「咾」は戦国時代からの当地の用語のようで、佐賀で代官役の上役のことだそうだ。「咾」は町役、今の区長と説明するものもある。
ちょうど、四部合戦状本『平家物語』を見ていたら、「老しき軍兵共」の「老」に「おとな」と傍訓(ふりがな)が振ってあった。「老名」などの表記もあった。こうしたものが契機となって、佐賀では江戸時代に入る前辺りから、「咾」が役職名となっていたということなのだろう。県内には、福富町福富にも「咾搦」(おとながらみ)という地が残っている。
一般の「おとな」には、熟字訓の「大人」が定着し、「常用漢字表」でも付表に掲載された。「大人しい」は、私もこれを知った小中学生のとき、「音無」という名前を見ていたせいか、最初は違和感があったが、これが語源に沿った表記であった。2字を新たな1字に凝縮する造字の時代は、電子化の普及によっていよいよ幕を閉じつつあるが、「オトナ」には既存の文字を組み合わせることが起こっている。「因囚」と飾りの「四角」(くにがまえのこと)で囲んで書く女子高生、「悲観的現実主義者」と当てた作詞者も現れており、日本人の文字によるニュアンスの表現そのものはまだまだ完了することはないだろう。
この「咾」という字は、『大漢和辞典』では、『集韻』から「聲也」を引き、「こえ」とする。先の3つの地域訓は、いずれも意味の上からも広くは国訓とも位置づけられる。
中国でも、ラーメンを「咾麵」などと記すこともあるなど、新たな用法が生じている。日本でも中華料理店のメニューで見かけた。
JISにこの字が採用された原因は、『国土行政区画総覧』所収の2つの地名のみにあった(それを記録したJIS漢字制定過程の資料『対応分析結果』が今出てこないのだが、そこでの出現度数も2とされていたとおぼしい)。日本らしい用法ばかりが一つの資料の中で衝突を来たし、さらに他でも地名などで用法に広がりを呈していた。この字のJISコード化は、期せずして、そうしたすべてを入力可能としていたのであった。
北海道では、この字を「いかん」と読める人が残っているだろうか。離れた地点同士で、会意の発想が似ているため、佐賀の地で話す際にも間違ってつい口から出てしまう。山口の「おば」は、先に触れたように「姥喰(おばくら)」という小地名の中で、偏が逆行同化した結果だろうが、これに近い「うば」は、類推から佐賀の人たちの解答に見られた。
最終日、川副町に向かう。「かわそえ」と濁らないそうで、市町村合併を経てもきちんと町名を残した。潮の満ち引きの大きい有明海に面した、海苔で有名な地だ。たしかに朝食でもそれはおいしかった。空港へ向かう途中に寄っていただき、その咾分でいよいよ降ろしてもらう。佐賀空港への道沿いに位置するのが幸いした。