前回述べたのは、『幼児』や『若者』は「格」の上下を意識しない『ごまめ』になりがちだということ、そして、それを期待する部分が周囲にもあるということである。このように「大人たち(『年輩』『老人』)が意識することを、子供たち(『幼児』『若者』)が意識しない」ということになっているのは、「格」だけではない。「品」についても、似たことが観察できる。
たとえば、「女の人がね、ゆっくり、歩いてきてね、……」と子供が言うのはわかる。だが、「女の人がね、しずしずとね、歩いてきてね、……」と言うのは、子供(少なくとも『幼児』)のわざではないだろう。
「しずしずと歩く」とは、単に静かにゆっくり歩くことではない。「しずしずと歩く」とは、『上品』な人物、それもふつう『女』が静かにゆっくり歩くことである。それは『老人』の「よたよた」とした足取りとは違っている。また、『幼児』の「よちよち」とした歩みとも違っている。
いやいや、『幼児』の歩行をここで問題にしたいわけではない。いまここで問題にしたいのは、歩き手(表現キャラクタ)ではなく、話し手(発話キャラクタ)としての『幼児』である。『幼児』は、『上品』な『女』の動作を見ても、それを「しずしずと歩く」と表現することがない。つまり『幼児』は「品」を語れない。もちろん現実には幼児だってそれなりに上品~下品を感じる。それは私たちの幼年時代を思い起こしてみればわかるだろう。だが「『幼児』キャラ」というものは、「品」を意識せず、「品」を語らないものになっているようだ。
えっ、それは単に、「しずしず」ということばを学校で教わるのが遅いというだけのことじゃないのかって? う~ん、そうかなあ。『上品』な『女』の歩きを「しずしず」と表現する話し手としては、「大人たち」(『年輩』『老人』)を思い浮かべやすいんじゃないですか。『幼児』だけでなく、「しずしず」という言葉を知っているはずの『若者』も、思い浮かべにくいんじゃないですか。
あの、突然ですけど、神サマって、お告げとかで「女王はその時、台座へ向かって静かに歩くだろう」とは言っても、「台座へ向かってしずしずと歩くだろう」とは言わないんじゃないですか?(言うとすれば、おごそかな『神』キャラじゃなくて、かなり人間くさい神サマですよね。)
『神』が『上品』な『女』の歩きを「しずしず」って表現しないのは、『神』が「しずしず」ってことばを知らないからじゃなくて(そんなの当然知ってますよね。『神』だもん)、キャラの問題、つまり『神』は「格」が『特上』だから「品」の良し悪しを語るような俗っぽいことはしないってことじゃないでしょうか。
「品」を語るのは俗世間の人間ども、とりわけ、世俗にまみれた「大人たち」(『年輩』『老人』)のおハコであって、「子供たち」(『幼児』『若者』)にはあまりふさわしくないってことじゃないでしょうか。