日本語社会 のぞきキャラくり

第87回 『ごまめ』の時代?

筆者:
2010年4月25日

「ああ、お月さま。──明日は下田、嬉(うれ)しいな。赤坊の四十九日をして、おっかさんに櫛(くし)を買って貰って、それからいろんなことがありますのよ。活動へ連れて行って下さいましね」

「あんなに大きく見えるんですもの、いらっしゃいましね」

「お掛けなさいまし」

「どうしてあんなに早くお歩きになりますの」

ここに並べたのは、川端康成の『伊豆の踊子』の中で、薫(かおる)という踊子が20歳の「私」に対してしゃべることばである。

「それはあなたの思っているより重いわ。あなたのカバンより重いわ」

なんて、対等っぽく笑うセリフもわずかにあるが、基本的に薫は『目下』の者として「私」に接している。次のように、私に直接ものを頼むことさえはばかられるぐらいである。

 踊子はおじさんおじさんと言いながら、鳥屋に「水戸黄門漫遊記(まんゆうき)」を読んでくれと頼(たの)んだ。しかし鳥屋はすぐに立って行った。続きを読んでくれと私に直接言えないので、おふくろから頼んで欲(ほ)しいようなことを、踊子がしきりに言った。

[川端康成『伊豆の踊子』1926]

鳥屋のおじさんには気安く頼めることが、20歳の「私」には頼めない。ということは、これは年齢の問題ではない。身分の問題である。制帽と学生カバンを身につけた「私」は学生様であり、茶店の婆さんには「旦那様」と呼ばれ敬われている。一方、薫は(同じ茶店の客であるのに)婆さんから「あんな者」と蔑まれる旅芸人の娘に過ぎない。だから薫は「私」に対して『目下』としてしゃべっている──という理屈はわかるけど、しかしさすがに時代を感じるね。「なさいまし」とか「お歩きになりますの」とか、ことばの古さもあるけど、薫って、今どきの娘じゃあないよ。だってまだ14だもの。いくら相手が上だっていっても、今の14歳がここまで『目下』キャラを発動するかね。

たとえばお店に行ったら、親がいなくて、14の子供が満面の笑みで出てきて「あ、いつもお世話になっとります。じきに帰ってきますんで。いえいえ、ささ、どうぞお履き物をお脱ぎになって」なんて親並みにしゃべって「シー」と空気でもすするかね。そんな14歳はあんまりいないだろうし、こっちだって14歳にはそういうことは期待しないんじゃないの。

子供がかしこまって平伏する、なんてのも、時代劇にはありそうだけど、今は見ないね。誰に対してもぞんざい口調が許される「格」の最低値を、この連載では仮に『ごまめ』と呼んでいるわけだけど、『ごまめ』を卒業する時期が、昔からすると、遅くなってるってことかねえ。

「格」の最低値『ごまめ』と、「年」の最低値『幼児』が弱い形で連動するってことはもう話したけど(第63回)、『幼児』に次いで若い『若者』とも、『ごまめ』は結びついてきてるみたいだね。これも前に言ったけど(第63回)、親に丁寧な口をきかない、内弁慶ならぬ内『ごまめ』も今は多いみたいだしね。

え、みんなそうなんじゃないのかって? たしかに、マンガ『サザエさん』の磯野カツオや、『ドラえもん』の野比のび太なんかは、親にぞんざいにしゃべってるね。でも、『ゲゲゲの鬼太郎』の鬼太郎や、『一休さん』の一休さんとかは、親に「です」「ます」調で話してるよね。『巨人の星』の星飛雄馬は親に対してぞんざいにしゃべってるけど、上流階級って設定の花形満は親に丁寧にしゃべってるんだよね。

韓国語でもやっぱり、親には丁寧にしゃべるんだけどね。ま、韓国語社会は、どんな悪い奴でも年上には敬語でしゃべるっていうから、一つの巨大な体育会みたいなもんで、日本語社会とはまた違うかもしれないけどね。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。