『日本国語大辞典』をよむ

第122回 雨垂れと涎

筆者:
2024年9月22日

ショパンの24の前奏曲作品28の第15番変ニ長調は「雨垂れ(の前奏曲)」と呼ばれている。小型の国語辞典、例えば『岩波国語辞典』第八版は「アマダレ」を「軒からしたたり落ちる雨のしずく」と説明しているし、中型の国語辞典、例えば『広辞苑』第七版は「軒先などから落ちる雨のしずく。あましずく」と説明している。『日本国語大辞典』の見出し「あまだれ」には次のように記されている。

あまだれ【雨垂】〔名〕(「あまたれ」とも)(1)軒先や木の枝などから、雨のしずくがしたたり落ちること。また、そのしずく。あましずく。あましだり。あまだり。*太平記〔14C後〕七・千剣破城軍事「作り双(なら)べたる役所の軒に継樋(つぎどひ)を懸けて、雨ふれば、霤(アマダレ)を少しも余さず、舟にうけ入れ」*文明本節用集〔室町中〕「霤 アマダレ シタタリ 玉篇云雨屋水流下」*玉塵抄〔1563〕二四「雨のふってあまだれのきれずしてさがるを紳のさがったにたとえて云ぞ雨だれは白ほとに玉と云たぞ」*日葡辞書〔1603~04〕「Amadare (アマダレ)、または、amatare (アマタレ)〈訳〉軒端から落ちるしたたり」*雑俳・柳多留-二四〔1791〕「雨だれは首を仕廻て通り抜け」(筆者注:以下に(2)(3)2つの語義が示されているが略す)

そして「語誌」欄には「あまだり(雨垂)」の「語誌」を参照するように指示がある。「あまだり」の「語誌」欄には次のようにある。

平安時代は「あましただり」または「あましだり」であったが、挙例の「水鏡」「宇治拾遺」「園太暦」に見られる通り、鎌倉時代になると、「あまだり」が、それに取って代わる。しかしその後、本来四段に活用していた自動詞「たる(垂)」が、室町時代中期以後、下二段化し、一般化するのに伴って、さらに、「あまだれ」に変化した。

「シタタル」という動詞、「シタタリ」という名詞は現代日本語でも使うが、これは〈下に垂れる〉という語義の語とみるのが自然なので、「シタタル」の語構成は「シタ+タル」ということになる。「シタ」と「タル」とが複合した時に「タ」が連続しているので、連濁という現象がおこって、「シタダル」と二番目の「タ」が濁音化していただろうと推測されている。そうであれば名詞「シタタリ」も「シタダリ」という形になっていた可能性がたかい。

「アメ(雨)」は「アマグモ(雨雲)」「アマガサ(雨傘)」「アマガエル(雨蛙)」のように、複合語をつくる時には「アマ」という形になる。そうすると〈雨のしたたり〉は「アマシタダリ」となる。「アマシタダリ」は「タ」と「ダ」(もともとは「タ」)とが連続しているので「タ」が発音されなくなると「アマシダリ」という形になる。これが「語誌」欄のいうところの「平安時代は「あましただり」または「あましだり」」である。もともとは「シタタリ」であったのだが、「シダリ」が「シタタリ(シタダリ)」からうまれていることがわからなくなると、さらに形が変わっていきやすい。「アマシダリ」が〈雨のしずく〉であることは言語使用者にはわかっているのだから、〈雨が垂れる〉という語義にひきつけて、「シ」をさらにはずし、「アメ(雨)」に四段活用動詞「タル」の連用形「タリ」がついた「アマダリ」という形になる。そして「タル」が下二段活用をするようになると連用形が「タレ」となり、「アマダレ」という形に変わったというのが「語誌」欄の説明だ。

ここまでを整理すると「アマシタタリ・アマシタダリ」→「アマシダリ」→「アマダリ」→「アマダレ」ということで、「アマダレ」という語形になるまでに幾つかの語形変化を経ていることになる。この、時間軸に沿った語形変化を小型、中型の国語辞典は記述しない。小型や中型の国語辞典が一つ一つの語の史的変遷を記述することは難しいので、これは当然のことといってよい。

さてそこで、であるが、「ヨダレ」の「タレ」は何だろうとふと思った。「ヨダレ」ももともとは「ヨダリ」という語形だった。『日本国語大辞典』には見出し「よだり」がある。

よだり【洟・涎】〔名〕(1)流れ垂れる鼻汁や涙。*日本書紀〔720〕神代上(兼方本訓)「亦唾(つはき)を以て白和幣(しらにきて)と為(し)、洟(ヨタリ)を以て青和幣(あをにきて)と為(す)」*大唐西域記長寛元年点〔1163〕三「我が無学を顧みるに、其れ洟(ヨダリ)唾(つはき)の猶し」*観智院本類聚名義抄〔1241〕「洟 ススハナ ヨタリ ナミタ」(2)「よだれ(涎)」に同じ。*石山寺本瑜伽師地論平安初期点〔850頃〕二三「涎液(ヨタリ)纏ひいりて、転た咽喉に入る」*新撰字鏡〔898~901頃〕「唌 与太利 又豆波志留」*十巻本和名類聚抄〔934頃〕二「津頥 病源論云津頥〈与多利〉小児多涎唾流出於頥下也」

よだれ【涎】〔名〕(「よだり」の変化した語)不随意的に唾液が口から流れ出るもの。唾液の分泌過多によるものと、口輪筋の収縮不全または嚥下(えんか)障害によるものがある。*文明本節用集〔室町中〕「涎 ヨダレ」*日葡辞書〔1603~04〕「Yodare (ヨダレ)〈訳〉涎」*評判記・難波物語〔1655〕「しさいらしくつぶやくひげ口の、よだれ見ぐるし」*俳諧・俳諧一葉集〔1827〕於四友亭興行「てうちてうち真砂の鶴の子を思ふ〈似春〉 涎の糸に撥かよふらむ〈芭蕉〉」*吾輩は猫である〔1905~06〕〈夏目漱石〉一一「独仙君の山羊髯を伝はって垂涎(ヨダレ)が一筋長々と流れて」

「ヨダレ」には室町期以降の使用例しかあげられておらず、「ヨダリ」→「ヨダレ」は確実であろう。「アマダレ」が〈雨のしたたり〉であるならば、「ヨダレ」は〈ヨのしたたり〉ということになりそうであるが、この「ヨ」がわからない。同系統の言語が指摘さていない日本語においては、語源は日本語の語彙体系内で考えるしかない。当然すぐに行き詰まる。ショパンから始まって、ヨダレで終わる。筆者は語に美醜なしとつねづね思っている。「トンカツ」というが油っぽいということはない。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。