新辞林

品切れ
定価
5,170円
(本体 4,700円+税10%)
判型
A5変判
ページ数
2,256ページ
ISBN
4-385-14029-4

好評の「ハイブリッド新辞林」の、辞書のみを独立。

「横書きでボリュームのある国語辞典がほしいのだけれど、私はパソコンを使わないので、辞書だけほしい」というたくさんの読者の要望により、刊行!

松村明、佐和隆光、養老孟司 監修/三省堂編修所 編

  • 「横書きでボリュームのある国語辞典がほしいのだけれど、私はパソコンを使わないので、辞書だけほしい」というたくさんの読者の要望により、好評の「ハイブリッド新辞林」の、辞書のみを独立。
  • 7つのマルチ機能[国 語+百 科+カタカナ語+人 名+地 名+アルファベット略語+ワープロ漢字]を収録した、定評のある本格的横組み現代日本語辞典「辞林21」の改訂版。
  • 収録項目:約150,000項目。

特長

さらに詳しい内容をご紹介

 21世紀を目前に控え,世界は大きく変わろうとしている。政治・経済・金融などあらゆる分野で,変化が加速化し,新しい事件,新しい現象,新しい言葉を,新聞・TV などで目にし耳にしない日はないといっても過言ではない。

 休むことなく動きつづける現代社会に登場する「言葉」「事項」などを,一冊のハンディーな本にできるだけ多く収録し,かつその意味内容を簡潔でわかりやすく解説した辞書が作れないか,そのような私たちの思いを形にしたものが本書の初版に当たる『辞林 21』(1993年刊)であった。

 しかし刊行以来 5 年が経過する中で,世界全体でも日本国内でもさまざまなことが生起し,5 年前とは様相が一変してしまった事柄も少なくない。私たちが1998年という現時点で改訂新版を刊行しようとするのも,こうした諸事象の変化の加速化と多様化に関係があると言えるだろう。

 以上のような問題意識から,今回新たに収録した項目も政治・経済・法律・医学・環境・通信・コンピューターなど,とりわけ変化の激しい分野の用語が中心となっている。また,最近とみに増加しているカタカナ語を幅広く収録するとともに,MOF,URL などのアルファベット略語についても,巻末に「アルファベット略語辞典」として収録した。一方,本書は,新しい事項の記述に意をそそいではいるが,国語辞典としての記述にその基本をおいていることは言うまでもない。巻末に置いた「JIS漢字字典」も本書の「字引き」としての機能の向上をはかっての配置である。

 今回私たちは,全本文収録のCD-ROM を冊子と一緒に刊行するという,全く新しい試みを行なっている。CD-ROMは,冊子の刊行から最短でも半年ほど後になるのが通例である。編集部では原稿のデータ作成の抜本的見直しを行なって,同時の刊行を可能にすることができた。また,今までの CD-ROM 版辞書は,いわば,その辞書の中だけの検索にとどまっていたが,今回の私たちの試みとして,インターネットを通して,外の世界と辞書を直結させることを目ざした。このことで,「辞書」というもののありように対し,ささやかではあるが一石を投ずることになったと考えている次第である。

 本書は,先ほども述べたように 1993 年に刊行された『辞林21』の改題・改訂版である。また,初版の『辞林 21』は大型国語辞典『大辞林初版』をもとに作られているが,本書は『大辞林第2版』のデータベースをもとに作られている。『大辞林』が読者の支持を受けているように,本書が実務の第一線で活躍されている人々,とりわけ若い人たちの身近に置かれて日々活用されることを願うとともに,読者諸賢の忌憚ない御批正をいただいてさらに良い辞書になってゆくことを念じてやまない。

1998年 6月

監修:松村 明
佐和隆光
養老孟司

自著自讃 『ハイブリッド新辞林 CD-ROM付き』

養老孟司

 この辞書は一九九三年刊の『辞林21』と、九五年に第二版の出た『大辞林』の成果をとりいれ、あらたに編集したものです。それに、この辞書の全文を収録したCD-ROMがつき、辞書の約三〇〇〇項目からインターネット上のホームページにリンクできるようになっています。こうしたCD-ROMつきの辞書は初めての試みということですが、いまパソコンの使われている状況を考えれば当然のことと思います。

 ぼく自身、原稿を書くときはまず手書きはしません。パソコンをにらんで、この字がないというと、パソコンの辞書を引いたら出てきますから、それを採って張りつける。変な使い方ですけれど、辞書はほとんど必需品です。歴史的なものとか、普通でない漢字を借りてくる場合、第二水準の漢字を探そうなどとやっていたら時間がかかってたまらない。たとえば荻生徂徠のことを書こうと思ったら、パソコンに辞書が入っていなければ書けませんね。

 それから、この辞書の特徴として横組ということがあります。ちょっと意地の悪い言い方ですが、横書きのほうが、正確できちんとしているという印象を与えるのではないでしょうか。理科の本はだいたい横組ですし、文化系を見ますと、経済などもそうです。もう一つ、横書きの辞書で一番よく使われる辞書がある。つまり外国語の辞書で、これは引かざるを得ないものです。ぼくらでもしょっちゅう引くわけです。だから横書きにしたときの印象というのがまずあると思いますね。それに辞書の場合、いろんなことを書き入れなければならない。理科系の本も同じですが、漢字仮名まじり、ローマ字まじり、それを文章にすると横書きのほうが便利です。もっともこれは作るほうの便宜かもしれませんが。

 読む場合は、ぼくは縦組のほうが明かに好きです。当然のことに、物語を横組にされたらとても読めない。一般に理科系の本に強い抵抗があるのは横組ということが大きいのではないかと思っています。日本語は本来、縦書き用にできている。これは脳の生理から将来おそらく説明されるのではないか。しかし、日本語はどういうふうに書いたら生理的に読みやすいかという、そこがまた日本語というのはややこしいんですね。縦書きの中国語を入れましたから、単にそれに合せているという見方もできます。そこらへんクエスチョンマークで、縦書き横書きの問題は非常に複雑だなという印象がある。

 具体的に横書きに抵抗があるという問題ですが、そこに理由があるかというと、確かにあるんです。一行が長いと駄目だということ。読んでいって次の行がどれかわからなくなってしまう。辞書でも英字新聞でもそうですが、あのくらいの長さにしないと横書きの場合にはちょっと読みにくい。時に英語などの大きな辞書で一行の長いのがありますが、やはり読みにくいものです。

 ここで何が言いたいかというと、そのことではないので、実は読みにくいということが意外に大事だと思うんです。辞書というのは意識して引くわけですから、普通の文章の読み方とはちょっと違います。すると、わざわざ引いて読むのに、また何度か読み返す可能性もあるのに、スルスル読めるというのはどういうものか。だいたい知らないことを引くわけですから、案外ある抵抗があったほうが使いやすいのではないか。

 辞書を引くときはかなり肩に力が入っているので、その力に合せた表現であることは案外しっくりいくのではないでしょうか。楽にスルスル読めるようにすればいいというものではない。機械の使い方というのが典型的にそうです。カメラでも、押せばいいというのは行きすぎというところがあって、ある程度マニュアルにして不便なほうがよい。つまり使い慣れてくると、自分がその機械の中のいろいろな装置に介入して行く余地があるほうが使いやすいという面があります。

 同じように辞書の文章の場合も、文章としては読みにくいものです。電報を読んでいるようなものですから、読むほうに緊張を要求するタイプの文章で、それには横書きのほうが向いているのではないか。読んでいくときに緊張感をもたせるためには、読みにくい形というのはつまり有益なのではないか。そう思うんですね。

 辞書を引くというのは面倒くさいものです。面白いところは、若い人は一般に辞書を引かない癖がある。年齢が高くなると案外使うようになります。ぼくが若かった頃も辞書など引きませんでした。若いうちだと、自分がものを知らなくても当り前だと思っているところがあって、だから当り前だと思っているから引くかというと、当たり前だから引かないんですね。それが年を取ってくると、自分の知識がはっきりしてないとか、正確であるべきところがいい加減だということに気がついてくる。そんなことで、辞書というのは年配の人が使うという気がしていたんです。

 辞書を新しくしようというときは、どうしてもアップ・トゥ・デートな、時代に合せる、そのときのニーズに合せるということが必要です。それに、年配の人が引くということを考えると、新しい言葉は比較的重要になってきますね。その裏に、今度はできるだけ広くカバーしようと、しかしこの二つは必ずしも折り合わない。辞書についていいとか悪いとかいうとき、引いた語が出ていないから駄目だというのは、あんまり辞書の本質をついたものではないと思う。なぜかというと、全部をカバーすることは決してできないはずですから。

 ぼくが辞書の編集に携るようになったのは医学系の用語を選択するところからでしたが、「インフォームドコンセント」をはじめ、医学用語はいま非常に多く辞書に入ってきています。というのは、患者さんがどの程度常識を持つ必要があるかという、そこが問題になっているんです。ぼくも、人体の展示をやったりするのは一般常識のレベルをある意味で上げてもらおうと思ってのことで、そのときに抵抗感があるのは人体なんです。だからその抵抗感を少しでも減らしたい。何も人体を見せて人体を覚えてもらおうというつもりはない。そういうものに対する抵抗を減らしてもらおうということなんですね。

 そういう意味では、辞書についても、気軽に辞書を引くという習慣はどうやったらつくだろうかということが最大の問題ではないでしょうか。普通は、引こうと思うのはどっちかというと新しい言葉です。『現代用語の基礎知識』ではありませんが、現代語の辞書というのがある。しかし、それを本当に引きたいかというと、年を取ってくると逆にそういうものは引きたくない。あんまり新しい言葉というのは、必要なら人に聞くなりして、むしろ辞書で引くものじゃないと。そこが辞書の役割として難しいところと思います。

 この『ハイブリッド新辞林』が、横組であり、CD-ROMがついているということで、気軽に辞書を引くという感覚を養うことになればと思っているところです。(談)

(ようろう・たけし 北里大学教授)